碍滨碍碍翱惭础狈のおいしい挑戦~アメリカ进出50周年~
デリシャス?オン?ミート!肉によく合う碍滨碍碍翱惭础狈
「Delicious on Meat」
しょうゆの市场开拓は、日系人や日本人の多くが住んでいる西海岸から始まりました。しかし、大量消费を见込むには非アジア系のアメリカ人を取り込んでいく必要があります。
そのために、「しょうゆは日本料理のための调味料」という概念を変えて、新たに「碍滨碍碍翱惭础狈というソース」を提供することを基本ポリシーとしました。
まず、「Delicious on Meat(デリシャス?オン?ミート=肉によく合う)」というキャッチフレーズが生まれました。使用方法のポイントを絞り、肉を焼いてしょうゆをかけると香ばしくおいしくなることを、訴求したのです。
さらにスーパーや百货店の店头で、试食贩売のデモンストレーションを行ないました。最初のデモンストレーションの料理は、肉だんごをフライパンで焼き、しょうゆをかけるという简単なもの。しかし、店内にしょうゆのおいしい香りが広がり、主妇の注目を集め、食欲をそそることとなりました。そして、アメリカの家庭に向けて、様々なしょうゆ料理のレシピが开発されました。
ホームエコノミストの活跃
アメリカ人が好むしょうゆ料理の开発は、大きな课题でした。非アジア系アメリカ人にとって、日本食の食材は集めにくく、家庭で日本料理を楽しむ机会もありません。そこで日顷から食べている料理で、しょうゆを使うことで一层おいしくなるメニューを开発する必要があったのです。
碍滨滨ではオフィスの一角に食品分析のための器具、装置一式を备えた商品研究开発室を设け、日本から技术社员を派遣し、现地セールスマンやホームエコノミストの意见を聴きながらアメリカ人の家庭向けのしょうゆの利用法と新商品の开発をすすめました。
ホームエコノミストは、メーカーと消费者の间に立ち、メーカーの提供する商品やサービスを消费者がどのように利用するのが効果的かなどの情报を家庭に伝える职业です。
こうしてさまざまなアメリカ风しょうゆ料理が开発され、実际に家庭に浸透していったのです。
日本ブームと「罢别谤颈测补办颈」
アメリカでは1958年(昭和33年)ごろから、「日本ブーム」と呼ばれる现象が起こりました。着物、庭园、华道、柔道などの日本固有の芸术や生活习惯などへ人々の関心が集まったのです。碍滨滨では、1959年(昭和34年)に米国におけるしょうゆの启蒙活动の一环として料理研究家の江上トミさんを招いて、サンフランシスコとロサンゼルスのテレビや新闻を通じ、しょうゆを使ったレシピなどを绍介し、大きな反响を呼びました。
この日本ブームのおかげもあり「罢别谤颈测补办颈」が登场しました。日本料理の「照り焼き」は、しょうゆとみりんを合わせたタレを鱼などにつけ、なじませて焼いたものですが、「罢别谤颈测补办颈」はアメリカ人が开発した料理。もともとアメリカでは、自宅でも野外料理のバーベキューを好んでいましたが、この肉の网焼きのタレにしょうゆを使う人が増え、そうした食べ方のバーベキューが「罢别谤颈测补办颈」と呼ばれるようになったのです。「デリシャス?オン?ミート」が一般家庭に浸透した証でした。
1961年(昭和36年)にはしょうゆに香辛料を加えたバーベキュー用ソース「テリヤキ?バーベキュー?マリネード」のアメリカ向けの输出を开始しました。
碍滨滨の设立から数年を経过し、1960年代になると西海岸の大都市の市场にはしょうゆがかなり浸透するようになりました。そこで碍滨滨は西海岸では中小都市の市场での浸透を推し进めるとともに、并行して西部地区以外でも本格的な贩売活动を展开することにしたのです。