研究機関誌「FOOD CULTURE No.7」(【対談】現代に生きている江戸?町方の暮らし向き)
食生活だけでなく、すごくおもしろい江戸?町方の生活
| 越川 | 私どもが今手がけておりますのは、资料として残されていない江戸についての口承文化の保存と伝承です。 江戸町方のリーダーたちを町众といいますが、このリーダーたちの人生観というようなものを中心に、「江戸しぐさ」と言ったいわゆる江戸庶民文化の研究を私はライフワークにしております。 |
| ベスター | 私は江戸文化や江戸时代の歴史の専门家ではありませんが、研究の分野は文化社会人类学ですから、歴史の上で文化のパターンや社会の仕组みを研究しています。もう10年ほど前から文化社会人类学の见地からの调査をし始めて、筑地の鱼河岸にはほとんど毎年、见学や调査のために来ています。江戸时代の町人の生活や江戸时代の食生活を考えれば、当时はもちろん日本桥の鱼河岸が、そして今では筑地がその「食」の中心の所だと思います。 食生活だけではなく、江戸の町人の生活はすごくおもしろいと思います。现在の东京を见ると、余り江戸の名残りがないという解釈がありますが、私の感じでは残っていると思います。もちろん建物や道路、新干线などを见れば、全然江戸の面影は见られないのかも知れませんが、现在の东京人の生活に残るいろいろな伝统的な面から感じられるのです。 特に今年は家康が将军になって400年、开府400年ですね。来年(平成16年)は日米和亲条约缔结150年记念でもあるので当然かもしれませんが、私の兴味がさらに歴史のほうに倾いているのです。ですから、きょうの机会は非常にありがたいですね。 |
|---|---|
| 越川 | それは光栄でございます。ベスターさんは京都にもいらっしゃったそうですね。 |
| ベスタ― | はい |
| 越川 | ご感想はいかがです? |
| ベスタ― | 文字どおり、京都も住めば都ですが、実は东京のほうがおもしろいと思います。もちろん京都には庭やお寺など歴史的、美术的価値のある所があり非常におもしろく、大切な町だと思いますが、现在の日本を考えれば、やはり东京が中心ですから、东京に戻って、やっぱりこれが本当の日本だと感じます。アメリカのガイドブックや観光客のための説明书ではいつも、本当の日本は京都とありますが、私は賛成できません。 |
| 越川 | 东京に着くとわくわくするというのでしょうか。 |
| ベスタ― | そう、そうです。新干线が品川あたりから都心に入ると、あーっとエネルギーがみなぎってくる感じがします。 |
| 越川 | そういう意味で、「生きている」という感じがありますね。 江戸の话に戻りますが、知り合いのお寺のご住职の奥様が、早朝の筑地にいらした时のことですが、大势の人がぶつかったりしないで、かけ声をかけるわけではないけれどもすっすっと阿吽の呼吸で行き交う。あれはすごい。これが「江戸しぐさ」ではないかと、本当にびっくりしたとおっしゃっていました。一つのルールがあって、それが体に染みこんでいる感じがするのですね。 |
| ベスタ― | 特に筑地の鱼河岸に行きますと、ああいうルールが多いのではないですか。江戸时代から続いている名残りの一つと思います。道路での动き方だけではなく、包丁の捌き方など、体で覚える技术にも感じられます。昨日、筑地市场へ行って、亲しい友だちの鮪屋さんのところへ见に行きましたが、200キロぐらいの鮪を解体するときの包丁の使い方を见ると、本当に感动的です。上手です。非常に力が要りますが、平らに切り离しができる。それもたぶん江戸时代からの技术が続いているのでしょうね。 |
| 越川 | 职人の技术ですね。 |
| ベスタ― | 特に筑地の场合は职人の意识、気质を强く感じます。 |
| 越川 | 江戸职人というのは一贯してものを考え、またそれを実行できる人だそうです。职人は、価値があるというのはおかしいですが、自分の技术に自信をもっている、そういった点が评価されていたのではないでしょうか。今では、どんどん机械化してしまっているということもあるかもしれませんが、鱼河岸ではまだその职人の気质が见られるわけですね。 |
| ベスタ― | 特に食文化とは直接関係ないかもしれませんけれども、职人のイメージとして考えれば、私が日本语を勉强したときにおもしろかったのは、「一人前」と言う言叶です。ふたつの意味があったのですね。ひとつは、例えば、寿司屋に入って、注文する时の「一人前」。ふたつめは、修行を积んだ职人を称える「一人前」。 |
| 越川 | 完成された职人としての「一人前」ですね。 本当の职人は、言われたことだけをやるのではなく、自分で企画して手配して最后まで全部やれる。一贯した腕を持つ人を&谤诲辩耻辞;职人&濒诲辩耻辞;と言うのだそうですよ。だから「一人前」なんでしょうか。そういう易しい言叶が大変な意味を持っていたのでしょうね。 |
| ベスタ― | そうですね。 |
| 越川 | 「江戸しぐさ」にもそういう言い回しがいろいろ出てきますね。 |
| ベスタ― | その意味では、文化は何よりも言叶でしょう?微妙な意味合いを持った。 |
| 越川 | その言叶が今、どんどん灭びているので、そのへんは日本人として非常に残念なところがありますね。パンティーストッキングを&谤诲辩耻辞;パンスト&濒诲辩耻辞;というのはとてもいやな感じだったんですよね。今はなんでも简略化してしまいますね。ところでベスターさんは、「グローバル化しつつある鲜鱼を使った料理と料理法の流れをまとめ、その文化としての倾向を导き出している」ということを研究なさっているとのことですが、どういう「倾向」をお感じになるのでしょうか。もう10年ぐらいおやりになっていますね。 |
| ベスタ― | 今の研究は10年前からです。私が最初に日本へ来たのは昭和42年、私の息子と今、ちょうど同じ年齢の16歳のときです。その顷アメリカには日本の食べ物がなかったのです。东京オリンピックの3年后だったでしょうか。アメリカでジャパニーズ?フードと呼ばれていた日本料理を思い出してみると、鉄板焼き、天ぷら、サーモンの照り焼きだけでしたね。私は16歳のころ、最初に生で食べる食べ物を见て本当に惊きました。惊くよりも、怖かったですね。そのとき「寿司」を少し食べさせてもらって惊きました。非常においしかったんです。 |
| 越川 | 日本人の食べ物にすぐに入っていけたというのは、舌や味覚が繊细だったのでしょうね。アメリカで日本料理を食べるとやたらに甘くておいしくないですよね。これが日本料理かと思われたら悲しくなってしまうという感じです。そういう点で、醤油が决め手というところがありますが、最初から生のお鱼の良さがわかったのは舌が敏感というか、五感が优れていらっしゃるのですよ。 |
| ベスタ― | 最近、アメリカの日本料理も结构良くなりましたが、まだまだお米の使い方や味付けが上手な人は少ないです。 |
| 越川 | アメリカ人の味覚に合わせてしまうのでしょうか。 |
| ベスタ― | もちろんそれも一つですが、これはたぶん江戸时代からのスタイルだと思いますが、日本のレストランは非常に専门的ですね。蕎麦屋が蕎麦、ラーメン屋がラーメン、天ぷら屋が天ぷらです。ところがアメリカではみんなが合併した一つのスーパーマーケットのようなレストランになるので、このテーブルは「寿司」、このテーブルは天ぷら、このテーブルはすき焼きと、いろんな料理がごちゃまぜになって、匂いも味付けも本当の味や本当の雰囲気がなくなってしまうのです。 |
| 越川 | なるほど、それはありますね。それは気がつかなかった、そうですね。 |
| ベスタ― | もし东京でヨーロッパのレストランがあって、このテーブルがイタリア、このテーブルがフランス、こっちのテーブルはスカンジナビアの料理では、余りおいしくないでしょう? |
| 越川 | そうですね。なるほどね。そこが民主主义というか、みんなそれぞれ多様化しているから、いろいろな人の需要に合わせようとしているのでしょうけれども、でもそういう感じがしますね。 ベスターさんは16歳のときに最初に日本に来られて、それからずっと日本びいきですか。 |
| ベスタ― | いえ、ずーっとではないです。16歳のときは半年しかいませんでしたが、そのときは経験として非常におもしろい半年だった。それだけだ、と思いましたが、大学に入って日本の歴史の讲座に入り、改めておもしろそうだなと感じました。 |
| 越川 | 10年ぐらい前から筑地の研究をされていますが、研究の中から「江戸の食」が见えてきましたか。 |
| ベスタ― | 最初の段阶は、食文化や江戸文化に対する兴味はそれほど深くなく、日本の零细公司と家族関係、亲戚関係について兴味がありました。どこか适当な场所はないかと思って、友だちや大学の先生と相谈をしました。その结果、市场には?叁ちゃん&濒诲辩耻辞;商业とか零细公司が多いので、もしその场所でいろいろな人たちにインタビューできれば、家族と経済、家业の仕组みがわかると思って行ったのです。しかし、あんなにおもしろく、あんなにおいしいところでは、最初の目的が二の次になってしまったんですよ。 もちろん、市场の皆さんに家族関係や商売関係などの人间関係をテーマとしてインタビューするときには、私が鱼や日本の食文化がわからないと、全然话し合いができないので、研究のためには、これから食文化や水产、鱼と日本文化の歴史などについても学ばないといけないと思いました。 そして、市场について学べば学ぶほどおもしろくなり、家业と家族関係が全然おもしろくないとは言えませんが、この10年の间に研究の范囲がはっきりしたのです。 |
| 越川 | 私も外国に行ったとき、まずやはり市场が见たいです。市场に行くと人々の暮らしが见え、人间の息吹を一番感じます。鱼河岸には日本人のまだまだ残っている気っぷのようなものがたくさんあると思います。 |
| ベスタ― | 3、4年前になりますが、家族と一绪に休暇でスペインへ行きました。旅行の前に、成田空港で暇をつぶすために「スペインについてのガイドブック」を买いました。アメリカのものと日本のガイドブックを両方持って行きましたが、日本のガイドブックは鱼市场を非常に详しく説明してありました。アメリカのガイドブックにはそれが全然なかったのです。こんなところにも文化の大きな违いがあることを、初めて知りました。 |

今でも世界的标準として通用する「江戸しぐさ」
| 越川 | ここで少し江戸时代の町众の生き方、物の考え方など、一つのルールとして引き継がれてきた、「江戸しぐさ」の话をしてよろしいですか。 |
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| ベスタ― | もちろん。どうぞ、どうぞ&丑别濒濒颈辫;。 |
| 越川 | いろいろな言い方がありますけれども、「江戸しぐさ」では3つのことを教えているのです。1つは健康、2つ目が人间関係、3つ目が平和、この3つが大きな项目ですが、第1章○○、第2章○○というのではなく、语り継いできたことですからバラバラにあります。私はそれをまがりなりにもまとめたわけですが、「健康」の中に「江戸食事仕様」というのがあります。グルメのための江戸料理のような気がしますが、そうではありません。人を生き生きとさせ、元気の源となる食事でなければいけないということを言っています。 「人间関係」については、ここに1本の鯖や鰹があるとしますと、赤身のところは消化が良いのでお年寄りへ、そして脂の乗ったトロは血気盛りの若い众へというように、年代と体调で无駄なく分ける、つまり&谤诲辩耻辞;食べ分ける术&濒诲辩耻辞;があったそうです。そして365日、同じ食べ方をしない。今のように食品は豊富ではないので、身近で廉価な大根や豆腐を使い、何种类もの调理方法を考えたそうです。つまり、料理の変化を楽しんだわけです。そういうことがルールというか、みんなが守っていたことのようですね。 |
| ベスタ― | &谤诲辩耻辞;食べる&濒诲辩耻辞;ということを、江戸时代の人々は、みんなで楽しんでいたのでしょうか?&丑别濒濒颈辫;。 |
| 越川 | ほとんど资料にはない话ですが、幻の「江戸病人食」というものがあります。これは明治になって、江戸ゆかりの老人たちが粗略な扱いを受けるているのを见かねた江戸っ子の末裔たちが力を合わせて、今のホスピスのような「止痛の馆」をつくったのです。馆での病人食が独特で、盛りつけの内容が粋でスマートだというのです。例えば病人は食欲がないので、盃に盛った柔らかいご饭を大きなお皿の上にあけて5つの山をつくり、その上に具で饰り付けを工夫する。例えばアミの佃煮?田麩?おかか、しそ?梅びしおなどを彩りよく乗せると、良い香りが食欲をそそり、病人たちは楽しんで食べられるわけです。「五峰(ごほう)の香」というのです。いかに病人の食欲をそそり、いかに食べやすくするかということに心を砕いた结果ですね。 |
| ベスタ― | それは现代でも引き継ぎたい、素敌な思いやりですね。 |
| 越川 | 私たちが子どものころ、おなかを壊すと、最初は「重汤(おもゆ)」を饮まされ、その次は「おまじり」といってお米の粒が少し入ったもの。その次が「お粥」、そして「ご饭」になりますから、重汤しか食べられないというのは相当重病人だということですね。小さな取り皿(御手塩)に重汤を入れて湖に见立てて、そこに色のついた具を少しづつ乗せて、自然との一体感がある箱庭のような料理で患者を喜ばせる。食欲のない患者も「あっ」と惊いて、1口食べてみるというように、大変苦心したそうです。 「五峰の香」は胃肠の弱い人には最适で、胃肠病院で评判になり、昭和の初めまで続いたようです。卫生的で体に良く运搬も楽ですね。栄养学的にも、この5つの具のうち动物性蛋白质は3つ、あとの2つは植物性蛋白质です。幻の「江戸病人食」ということですが、これは、芸术品のような、江戸の人たちのやさしさというか&丑别濒濒颈辫;。 |
| ベスタ― | 人情の厚さというか&丑别濒濒颈辫;それがそういう工夫に表れているんですね。 |
江戸は、シェア?ド?リビング(共生)の町だった
| 越川 | 江戸の町は2世纪半に及ぶ平和が続いたと言われています。でも、城がある町ですから、いざとなったら武士达は笼城するわけで、そのための兵粮用にお米を蒸してこね、ねじり棒にして稚児用と大人用につくっていました。それを帷子(かたびら)、単衣(ひとえ)ものや浴衣の襟に缝い込んでいたようですが、それが昭和の初めまで味が変わらなかったようで、これは乾饭(ほしい)よりおいしかったそうです。结果として江戸时代は、戦乱もなく世界的にみても稀にみる平和な时代が続きましたが、万一ということを考えて、そういうことをしていた。これも江戸时代の知恵です。 「共食」ということについてお话ししましょう。江戸の长屋の住人达は屋根、壁、井戸、厠を共有して暮らしているわけですが、中には职住接近の居住があり、例えば长屋の一番角がお蕎麦屋さんだとすると、すぐ隣では、そば粉を専门に打つ家、次の家はだし汁専门、その次は薬味づくり専门で、1轩ごとに分业しているわけです。そのために食事を作っている暇がないので、その人たちの食事だけを専门につくる社员食堂のようなところがあり、みんなで「共食」をしていた。200年も前の江戸で共生、共有して暮らす暮らし方があったということは、大変进んでいたことなのではないかと思います。 |
|---|---|
| ベスタ― | それはすばらしいですね。 |
| 越川 | 「シェア?ド?リビング(共生)」の町だったということがおもしろいと思います。先日もある会合でこの话をしますと、「それは江戸の幕府がやったのですか」と质问されましたが、江戸の町方のトップに立つ人たちがいろいろ考えたとお话ししました。深谋远虑でいろいろ工夫して、町内が争いといじめのない、そして互いに平和に繁栄するにはどうしたらいいかということを考えるわけですね。同じことがニューヨークの街にもありましたね。地下鉄が落书きで汚されて、それに比例するように杀人件数がふえていることを、&濒诲辩耻辞;壊れた窓理论&谤诲辩耻辞;※①で落书きを消すことから始めたのはあの有名なジュリアーニ市长です。落书きを消すと同时に小さなルール破りをびしびし取り缔まっていって、遂には杀人件数を3年かかって剧的に减らしたという话しです。 ニューヨークでの话も、犯罪が起こらないようにする、いわば予防医学のようなものですから、先ず小さなルールづくりとそれを実行してゆくこと。みんなが気持よく挨拶できて、楽しく毎日を暮らせることが、结局平和で安全で繁栄するものだということですね。これはまさに「江戸しぐさ」と共通するものがあると思っています。 |
| ベスタ― | 先ほどの鱼河岸の人々の动き方と同じように、小さなルールを作ってみんなでそれを守っていくということですね。 |
| 越川 | 「すばらしい、芸术と言ってもいいくらい见事だ」と筑地にいらしたご住职の奥様が惊いていたことをお话ししましたが、「江戸しぐさ」は「上に立つ人のしぐさ」のことなんですよ。トップの人がそういうことを考えなければだめなんです。トップが自分のことしか考えなかったらもうだめなんです。だからトップのしぐさを教えるのが「江戸しぐさ」なのです。 |
| ベスタ― | 本当に、そういった点が大切ですね。 |
日本食との出会いは蝋细工の料理见本
| 越川 | お好きなものの一番は、お寿司ですか。 |
|---|---|
| ベスタ― | 一番はそうですね&丑别濒濒颈辫;。たぶん一番は鰻、蒲焼きですか。まだ全然日本语のできない16歳のころ、世田谷区の叁轩茶屋に住んでいて、ある夕方、夕食を探しに行ったときに、全然知らなかったのですが、偶然にも、蝋细工の见本を见て、おいしそうだなと思いました。もちろん店内に入ると匂いが良いので、食べてしまいましたが、非常においしかった。その后、2、3回ぐらい食べても、まだまだ蒲焼きの材料がどういうものか全然知らなかったのです。もし鰻だと知っていれば、たぶんだめだったでしょう。ヘビみたいで恐ろしい。(笑) |
| 越川 | 鰻は悪魔のなんとかと言って外国の方は、食べませんね&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。 |
| ベスタ― | 最初は见本を见て、次には店内の香りと匂いで、おいしいんだなと感じたのです。寿司と鰻はもちろん江戸时代からあったと思いますが、あの蝋细工の见本はいつごろからなのでしょうかネ。 |
| 越川 | あれをお土产に买っていく外人の方がいらっしゃいますね。 |
| ベスタ― | 明日、合羽桥(台东区西浅草)に买いに行こうと思います。うちのオフィスでは寿司の见本が结构人気があるんです。あれも生活の知恵でしょう。看板よりも见本を作った方が、はるかにおいしそうだし、おもしろいです。 |
| 越川 | 私たちが子どものころ、「しんこ细工」の屋台がありました。屋台というのか、棒手振(ぼてふり)といって、天秤棒で担いで売り歩くんです。「しんこ」というのはお米の粉ですが、それこそウサギが饼つきをやっているところとか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;、今のお母さんたちは不卫生だと言って食べさせないかもしれませんが、子どもからみれば芸术品なんですよ。ああいう伝统があるから、见本なども简単にできるようになった気がしますね。 日本や中国では「医食同源」という食事と薬は一绪のものだと言う考え方がありますが、西洋ではいかがですか?。 |
| ベスタ― | 一绪ではないかもしれませんけれども、はっきりと区别はしていません。その一方で、西洋の场合はずっと昔から、食べ物は食べ物、薬は薬という概念がありました。もちろん栄养的には西洋も东洋も同じような料理や食べ方がありますが、西洋の感覚では、意识と体は别のものです。薬は意识のためのものです。そして、食べ物は体のためなのです。 |
| 越川 | 食べ物とは直接関係ないけれども、「江戸の子育てしぐさ」というものもあるんですよ。人间というものは、脳と身体(颜、胴、手足)があって、それを结ぶのは、ちょうど操り人形の「糸」にあたるのが「心」なんだと教えたのです。その糸の使い方、动かし方によって表情や、身のこなしや、しぐさが违ってくると、心の働き、重要性を子どもたちに教えたんだそうです。 |
| ベスタ― | 何才の子供にですか? |
| 越川 | 3つまでに教えたということです。心というものはこういうものだと。子どもたちの一挙手一投足は全部「心」がさせているのだということですね。糸になぞらえて子どもたちにわからせたというのは、すごい知恵だと思います。 |
| ベスタ― | おもしろいですね。 |
| 越川 | そういう比喩がとても独特というか、わかりやすいのです。子どもはそれを知识として教えこまれたのではなく、见よう见まねで覚えていったのでしょうね。 |
| ベスタ― | それは确かにそうだと思います。 |
| 越川 | 私の主人は东洋医学も勉强していた医者でしたが、今の医者は、眼が悪いというと眼だけ诊るというのです。そして、どんどん细分化して、皮肤は皮肤科、血管は血管担当という方法で诊ますが、人间とはそうではないのですよね。全部、関连がある。眼が悪いのであれば、体のほかのどこかと関连した方法で诊なければいけないというのです。 |
| ベスタ― | それはもちろん食べ物と薬の関係にも言えますね。そういうことを子どものうちから、教えていたというのは、すごいなと思います。 |
| 越川 | 子どもというのは、亲を见て育つと言われていますね。その见よう见まねをしたい亲たちがいない。今、私は、&濒诲辩耻辞;カルチャーシティー&谤诲辩耻辞;で「江戸しぐさ」の讲师をしていますが、若い女性が私の话を闻いて、「こんなことだれも教えてくれなかった」と言うのです。当たり前のことを教えなさすぎた。勉强だけやらせて知识だけは一生悬命入れて、人间として一本心张(しんばり)棒が抜けたような育て方をしてしまった。日本は戦后50年余、これが続いてしまったわけです。 私たちが子どものときは、「勉强しろ」と言われたことはないんです。ところが、嘘をついたり弱い者をいじめたりしたら怒られたものです。そういうのが今はない。そういうことに対しては怒らなくて、勉强しないで悪い成绩を取ったりするとすごく怒るというふうになってしまった。良い学校に入り、良い会社に就职することが幸せだとは限らないのに&丑别濒濒颈辫;、まだそれが覚めないような感じですけれども&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。 |
| ベスタ― | ところで质问がありますが、例えば现在の伝统的な和风の食べ物を、江戸时代というか、幕末时代の人が见ればすぐにわかりますか? |
| 越川 | そうですね&丑别濒濒颈辫;。 见た目には伝统的に表现しているのでしょうけど、果たしてわかるのかしら&丑别濒濒颈辫;。江戸时代にも「バームクーヘン」があったように、意外にも当时からいろいろな食品が外国から入ってきているのも事実です。最近では特にごちゃごちゃになってしまって食卓を賑わしていますね。朝からスパゲッティーやパンを食べる家庭が増えていますし、和食にしても江戸时代の一汁一、二菜の基本が崩れたり、「ごはん」と「おみおつけ」の置き方も无顿着になっています。今は食事の作法がめちゃくちゃになっている点などは、当时の人が见れば惊きでしょうね。 |
| ベスタ― | そうかもしれないですね。ところで、江戸时代の食べ物や料理で、今ではなくなってしまっているものはありますか。 |
| 越川 | あるかもしれませんね。调理法について考えてみると、工夫や応用をしなくなった点ですね。例えば、「豆腐百珍」※②や「鯛百珍」※③と呼ばれる巾広いレシピが考えられて、江戸庶民は食生活を楽しんでいましたが、今ではその一部しか残っていないようです。创意工夫をしたり、亲から子へ伝承するという习惯が希薄になったことでしょうか? 年中行事でも「桃の节句」「端午の节句」「お月见」など、日本人には欠かせないこれらの祝い事も核家族になっている今の日本ではしなくなりましたね。特に都会型の生活が、そういうことを止めていっています。无駄という考え方があるのでしょうか。とにかく今は経済优先の生活でしかない。家族の帰宅时间がまちまちだから、食事は孤食になりがちなのです。 |

市场をのぞくと、その国の暮らしが见える
| 越川 | ところでベスターさん。话しは戻りますが、筑地に行かれて「江戸」が见えたでしょうか?いろいろな国の市场に行かれて日本の市场と比较されていかがでしょうか? |
|---|---|
| ベスタ― | はい。いろいろと比较してみました。先ほどおっしゃったように、人间の动き方、生活、暮らしなどがある程度见えるので、教会や博物馆よりおもしろいと思います。私が最初に筑地市场に见学に行ったときの印象は、日本の中にある日本ではないところ&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。日本ではないというのは少し言い过ぎるかもしれませんが、别な国、别な社会ですね。最初、本当に&濒诲辩耻辞;村社会&谤诲辩耻辞;と思いました。入っていけるかどうか、本当の付き合いができるかどうか、心配でした。 |
| 越川 | ところが行ってみたら&丑别濒濒颈辫;。 |
| ベスタ― | 入ってすぐいろいろな付き合いができて、それから市场の本当の意味がわかり始めたのです。市场は物流だけではなく、社交场ですね。何よりも人间関係が市场を动かします。筑地で调査するときにはみんなに、「仕事のために筑地で働きますが、その仕事は鱼を売る仕事ですか、または人间関係をつくる仕事ですか」と闻くと、「両方ですね」と。その意味では鱼ではなく人间関係や、先ほどおっしゃったような职人の気质や包丁の捌き方など自分の技术でいきてるって感じです。 |
| 越川 | 先ほど「江戸のしぐさ」という动きが感じられるとおっしゃいましたけれども、ほかの国の市场も同じですか。 |
| ベスタ― | そうですね。私の経験だけですが、特に鱼河岸は非常にさっぱりした感じですね。海が近いし、潮风が吹き、人间本来の姿が见えると思います。もちろん市场は食品を扱うわけですから、暮らしの根本的なところでもあります。市场はそういうところです。 |
| 越川 | 市场での人の动きや作业の流れは、多少は変わるでしょうけれども、江戸时代と基本は同じですね。市场の活况にふれると昔の日本というのは、こうだったのだろうということが想像できますか? |
| ベスタ― | それは少し难しいですけれども、例えば筑地のやり方、仕组みの背景を闻くと、すぐに日本桥の鱼河岸时代までさかのぼり、その日本桥の鱼河岸のことを闻くと、幕末や江戸时代までいろいろなつながりがあるのです。今见ると、これが日本の昔とは思えないのですが、微妙な点では、言叶遣いや心遣い、道具にもいろいろな由来があり、私は最初は歴史と思いませんでしたが、入れば入るほど歴史にも入り、おもしろいです。 もちろん筑地は场所としても非常に歴史のある所です。特に明暦の大火(1657年)からあの辺が开発され、今の筑地から结构、江戸だけでなく、东京全体の歴史が见える场所だと思います。 |
| 越川 | 江戸の町は賑やかで大変だったようですよ。ある文献(ケンペルの『参府纪行』)にオランダのカピタンが行列をつくって通ってもだれも见向きもしなかったとか、ほかのきらびやかな大名、小名の行列があるので、江戸の人たちはそういう派手な行列に惯れているというようなことが书いてあります。 |
| ベスタ― | その生き生きとしたものは筑地市场に残っていると思います。 |
| 越川 | 江戸の&濒诲辩耻辞;いき&谤诲辩耻辞;は、京の&濒诲辩耻辞;粋&谤诲辩耻辞;と违うようです。当时、京では&濒诲辩耻辞;粋&谤诲辩耻辞;を「すい」と読んでいましたが、江戸では浮世絵も全部平仮名で「いき」と表わしています。江戸の&濒诲辩耻辞;いき&谤诲辩耻辞;は、生き生きしているとか、意気込みの意気とか、生きているの「いき」だそうです。 |
| ベスタ― | それは良い话ですね。ライブというか、生活全体ですね。 |
| 越川 | 小さな児には、初めはお母さんが食べ物をさまして食べさせますが、あるとき「あちっ」と言えるようになると、「いきの祝い」というのをしたそうです。一人前、独り立ちできる、火伤をしないという、自分で危机管理ができるわけです。そういうことで「いきの祝い」をしたというのはそれこそ「いき」な话だと思います。「江戸のしぐさ」の&濒诲辩耻辞;いき&谤诲辩耻辞;はそういう&濒诲辩耻辞;いき&谤诲辩耻辞;なんですよ。 |
アメリカでも和食が浸透
| 越川 | 今、アメリカでは和食がヘルシーとか言われてかなり広まっていますね。 |
|---|---|
| ベスタ― | 非常に流行的な食べ物になって、ヘルシーだけではなくいろいろな面でイメージが&丑别濒濒颈辫;、少し説明しにくいのですが&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。もちろん脂も少ないし、タンパク质が野菜のタンパク质だとか、鰻など鱼のタンパク质が食べられていますが、もう一つは、日米関係の上では、日本は良いイメージがあるので、日本食にも非常に兴味を持っている人が多いと思います。もちろんビジネスやいろいろな交流関係でアメリカ人が日本に来て、和食を食べたらきっと好きになるのは当然だと思います。 ただ、アメリカの场合、イタリア、メキシコ、インドなど外国料理のほとんどが移民が持ち込んだ食文化ですね。日本の料理は、もちろん日系人がいますが、それほど普及していないのです。なぜかというと、戦争の影响もあって、日本は文化や食文化を外の社会に出したくないと思っていたんでしょうね。 大体、1970年代までアメリカ人はほとんど日本の食べ物は知らなかったと思います。大阪万博のころから観光旅行も结构あったし、日米経済関係で日本人のビジネスマンがニューヨークやサンフランシスコに滞在中に付き合いができて、アメリカ人が东京や大阪に行くようになり、日本ブームはその时代から始まって、もう30年余りも続いていますね。先ほども言いましたが、それ以前にはアメリカでは、寿司や刺身など鱼関係の食べ物はほとんどなかったです。すき焼き、天ぷら、鉄板焼きは、みんなが知っているというわけではないが、日本の代表的な食べ物として知っています。 最近、昭和30年代のアメリカの料理の本を见て、どのぐらい日本の影响があるのか、日本的な食べ物があるかどうか调べてみましたが、1950年代、60年代にはほとんどないのです。醤油の使い方が少しと、麺类のレシピ、焼き鸟、焼き鱼のレシピだけでした。今は普通の料理の本にも结构日本风のレシピがあると思います。寿司や刺身まではないかもしれませんが、确かに味噌や豆腐の调理の仕方もあると思います。 |
| 越川 | アメリカ人は、お醤油には抵抗ありませんか。 |
| ベスタ― | 全然ありません。アメリカ食の一つになってしまったと思いますよ。例えばハンバーガーの上にかけるとか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。 |
| 越川 | 醤油を&濒诲辩耻辞;キッコーマン&谤诲辩耻辞;と呼んでいますね。 |
| ベスタ― | アジア系またはアジア料理の中で、たぶんお醤油が最初に一般的になりました。 |
| 越川 | 20年ぐらい前にアメリカで日本食を食べたとき、本当においしくなかったの。日本食の良い板前がいなかった。中华はものすごく势いがあって、これでは负けてしまうと思いましたね。安いしおいしいし、テイクアウトもできるし。映画を见ても、中华料理のシーンがでてきますね。日本の场合は板前の良いのがいなかったということもあるし、味がアメリカ人好みになってしまっているので、日本人には食べられないわけです。サンタフェに行ったときに、これが日本料理かと惊きましたが、今はだいぶ&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。サンフランシスコはお鱼がおいしいですから、そこの「侍」というお寿司屋さんが结构おいしいものを食べさせてくれますね。お醤油が决め手になったと思います。 |
| ベスタ― | 「侍」とか「将军」とかいう店で&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。 |
| 越川 | そういう理由で、アメリカ人の食生活で鱼の消费量はふえると见てよろしいですか。 |
| ベスタ― | はい。1970?80年の间に结构ふえてきたと思います。データは持っていませんが、确かにそうだと思えます。 |
味?香りだけでなく、目で楽しむ日本食
| ベスタ― | アメリカ人にとっての日本食のイメージは、味、香りだけではなく、目で见てきれいなものですから、景色としてすばらしい、きれいなものですね。 |
|---|---|
| 越川 | 见て楽しむ、ですね。嬉しいお言叶です。确かに目で见てということを日本人は大事にしています。これからの日本食がこうあってほしいということはありますか。今、日本人も若い人たちは和食から远のきつつありますよ。 |
| ベスタ― | それは非常に残念だと思います。 |
| 越川 | しかし、これが现実ですね。といいますのは、お米の消费量が减っていますし、お醤油の消费量も减っています。良し悪しはまた别ですが、味覚が変わってきているのではないか。良く変わるのであればよいのですが、なんだか変な味覚になっています。 |
| ベスタ― | 日本の若い女性、翱尝は鱼にも触れないし、「叁枚おろし」と「大根おろし」はどういうふうに违いますかと闻くと、答えが出てこない。冗谈すぎますね。(笑) |
| 越川 | 「&濒诲辩耻辞;鯵の开き&谤诲辩耻辞;は、开いて泳いでいる」と思っているらしいですからね。(笑) |
| ベスタ― | これからの日本の食生活は、コンビニが大きなカギを握っていますね。コンビニに行くと、料理をつくる食材がないのです。ラーメンやヌードルとか、ただ、パックですね。自分が好きなようにつくる材料がない。食材としては、タマネギが2个、ニンジンが3、4本、卵と塩だけですね。ほかは全部パックです。そういう生活をするように育てられたら、これから食事はどうなるのか、大変ですね。 |
| 越川 | 忙しくて、たまにそういうところでパックのお惣菜类を买ったりするんですが、本当においしくない。なぜ、ああいうふうに浓い味付けにするんでしょうね。とにかく甘いですよ。 |
| ベスタ― | 糖分、塩分が多いと思います。 |
| 越川 | 自分のうちでサッと炒めたりして食べたほうがよほどおいしいと思いますね。1986年でしたか、イタリアで「スローフード」という运动が起きて、日本にも入ってきていますが、まだ一般的な生活の中にはとけ込んでいるとは言えませんね。 |
| ベスタ― | アメリカでもスローフードの动きはあると思いますが、まだまだ小さいでしょう。まず暇のある人だけしか参加できないでしょうね。一生悬命働いている人、または小さい子どもがいる家族はスローフードなんてとんでもない、ファーストフードの方が必要でしょう。考え方としてスローフードは賛成しますが、今の现象を见ると少し神経质すぎます。 |
| 越川 | 暇のある人にはいいけど、生活に追われている人にはとても无理だと思います。「スローイズビューティフル」、それは生き方としては賛成ですね。アメリカ人には菜食主义者は结构多いのではないですか。 |
| ベスタ― | うちの生徒の中でもベジタリアンは、3割か4割ぐらいでしょう。特に女性が多いですね。 |
| 越川 | 健康、ダイエット、スリムになりたいとか。 |
| ベスタ― | それもそうですが、少し哲学的に。私の讲义で&濒诲辩耻辞;寿司&谤诲辩耻辞;の话が出てくると、若い女の生徒には受けません。「これは肉ではなく鱼ですよ」と説明しましたが、ベジタリアンとしての意识が强いようですね。 |
| 越川 | ベジタリアンも良いですが、本格的に取り组むには非常に时间がかかりますね。それこそ信念をもってちゃんとやるのでおいしいですし、すばらしいお料理ですが、食材の入手方法も大変ですし、调理に何时间もかかりますからね。 |
| ベスタ― | ベジタリアンの场合は、生活よりは宗教みたいな感じです。 |
| 越川 | 「みんな细くて痩せていて颜色が悪い」と悪口を言った人もいる。やはり蛋白质は必要ですね。人间は动物性蛋白质がないと元気が出ない。ほどほどですね。「ダイエット」や「スリム」にはまってしまって宗教みたいになってしまうと、恐ろしいみたいですね。ほかのものは全部悪になってしまいますからね。何と言っても、バランスよい食事が健康の基本ですね。 |
| ベスタ― | 同感です。 |
| 越川 | お会いできて嬉しゅうございました。またお会いしましょう。 |
| ベスタ― | ぜひまたよろしくお愿いします。 |

【注】
※①「壊れた窓理论」
ニューヨークのサウスブロンクス地区で、高級車を放置したままでも、何も起こらないが、車の窓ガラスを少し壊した状態で4?5日放置しておくと、その車はひっくり返され焼かれていた。また、アパートの窓を閉めておくと何も起こらない。しかし1カ所窓ガラスを破って置くと、何日もたたないうちに、数枚のガラスが破られてしまう……このような社会現象が「The BrokenWindow Theory (壊れた窓理論)概訳」と呼ばれている。
【出典―アルティマソフトウェア社ビル?ベンナー着『ザブロークンウインドゥズセオリー』より引用】
※②「豆腐百珍」
天明2年(1782年)大坂で出版されるや、たちまち大评判になり、江戸を巻き込んで第一次食ブームを起こした。それまでの料理法が実用一辺倒でさまざまな料理法や献立を绍介するのみだったが、本书では、素材一品に限定して、料理法のバリエーションを楽しんでおり、同时に豆腐に関する和汉の文献や诗歌を并べて、料理を知的兴味の対象にした。
※③「鯛百珍」
「豆腐百珍」に次いで出版された、「百珍」もの。他には「甘藷百珍」「玉子百珍」などがある。(『一日江戸人』杉浦日向子着小学馆文库刊)
【写真提供】
?『江戸日本桥小田原町肴市之図』(江戸东京博物馆蔵)
?『江戸図屏风』(国立歴史民俗博物馆蔵)
【図版资料】
?笔3?4?5?7?8は『远西舶上画谱』
?および笔6は『本草図説』(东京国立博物馆蔵)
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越川礼子
东京生まれ。青山学院女子専门部卒业。 1966年、市场调査と商品企画などを手がける㈱インテリジェンス?サービスを设立、现在同社社主。江戸庶民文化をライフワークに、「江戸しぐさ语りべの会」を主宰し、江戸?町众の基本的な思想ともいえる「江戸しぐさ」の普及に努めている。着书に『グレイパンサー』(「潮赏ノンフィクション部门」最优秀赏受赏)、『江戸の繁盛しぐさ』などがある。 |
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セオドール?ベスター
ハーバード大学 ライシャワー日本研究インスティチュート 社会人類学大学院ディレクター人類学教授。 1967年に初来日。日本の鮮魚取扱いと築地魚市場の調査研究を実施。最初の著書『Neighbourhood Tokyo』(東京の近郊)では、東京の中流家庭の暮らしを描き、現在、執筆中の『Global Sushi』(仮題)では、グローバル化しつつある鮮魚を使った料理と料理法の流れをまとめている。 |




