糖心原创vlog

研究機関誌「FOOD CULTURE No.2」
讲演①日本食は调味料文化
Seasonings & Their Role in Japanese Food Culture

熊仓功夫(国立民族学博物馆教授)
マーチン?コルカット(プリンストン大学教授)

味を调える材料とは

今日は、こういう素晴らしい会にお招きいただきまして、大変光栄に存じます。また年来の友人であるコルカット先生に解説をしていただきますので、私の话の足りないところを补っていただけると思います。
まず最初に私のこのタイトルですが、英语の「蝉别补蝉辞苍颈苍驳(シーズニング)」と日本の「调味料」というのは、必ずしも同じ意味ではないと思います。日本で「调味料」といった场合には塩や酢のほかに砂糖、みりんなどもありますが、その中で特に重要なのが醤油と味噌です。ハーブ、胡椒といったものは调味料とはちょっと违った言い方で香辛料といって、调味料から除外して考えます。これから考えなければいけないことは、シーズニング、调味料、スパイスといったものを全部含めた、味を调える材料が、どういう地域でどのように使われるかを、世界地図で描いてみる必要があると思います。しかし、まだそういう準备ができておりません。
东アジアでは発酵调味料が特に発达しております。ご存じのとおり古代ローマには鱼でつくった鱼醤(ぎょしょう)というものがありました。东南アジアでは今それが非常に盛んです。しかし日本ではごく稀な例しかありません。日本の场合には大豆を主体とした醤油と味噌が中心になります。
ちょっと話が違いますが、最近加藤秀俊教授と『外国語になった日本語の事典』という本をつくったのですが、英語の事典の中に日本語が幾つあるか数えてみましたら950ほどありました。「カラオケ」「スシ」「テンプラ」といった英語になった日本語がたくさんあります。その中に食品に関する言葉がたくさんあって、調べてみると、その約7パーセントに当る60か70語もあります。そのうち29語が(soy bean=大豆)に関する言葉です。ソイ?ソース(soy sauce=醤油)に関する言葉はあまりにも古く入ってきているので、ソイ?ビーンの「ソイ」という言葉が「醤油」からきているということを知らないアメリカの人が増えています。事実、若い人に聞いたら知らないと言われました。初めから「ソイ?ビーン」を英語だと思っている若い人がいます。

熊倉功夫氏とマーチン?コルカット氏

味噌と醤油の歴史

味噌の原型が中国から入ってきたのは古代、多分7世纪ごろだと思われますが、すでに日本ではそのころ醤(ひしお)という名前で呼んで、调味料として使われていました。醤(ひしお)の塩はソルトの塩ですから、塩辛いもので、塩を使った発酵した调味料、という意味でした。
中世になると、14世纪以降、味噌の料理が発达してまいります。恐らく中国から大量に入ってきたさまざまな文化の中に、中国のお寺で精进料理の豆腐などを使ったスタイルが入ってきて、その中に味噌が大変重要な意味を持っていたのだと思います。当然宗教的なタブーがありますので、鱼肉类は使いません。すべて豆、麦、种子、海藻でつくりますので、味噌の発达が僧堂を中心に広がっていきます。例えば、今でも田楽(でんがく)という料理があります。豆腐に味噌を涂って焼いた料理です。当时はやっていた田楽法师というダンサーの姿に似ているというので、「田楽」という言叶ができます。
一方、味噌は调味料としてだけではなく、中に野菜を入れたりして、食品としての味噌、つまり舐めて酒を饮むとか、御饭につけて食べるという、舐め味噌というものも発达していきます。つまり16世纪までは日本の调味料の中心は味噌であったということです。
味噌の中から液体を取って使うという方法が中世の终わりぐらいに出てきますが、その一つは、味噌の中に笼を入れて、その中に渗み出てきたエッセンスを溜めて使う「たまり」というものがあります。同じように「たれ味噌」といって、味噌を水に溶いて缓くしたものを袋に入れて吊るしておきますと、そこからドロップしてくる汁を使うようになります。日本のお料理は刺身をすぐ思い浮かべますが、刺身を醤油で食べるということは江戸时代以后のことで、江戸时代までの刺身の食べ方は、刺身を别のつけ汁を使って食べました。そのつけ汁で一番代表的なのは、煎り酒というものです。煎り酒のつくり方は、たまり、酒、梅干し、鰹节を加えて、3の1ぐらいに煮詰めたものです。そういうものが刺身のつけ汁だったのです。
最初に日本の文献に「醤油」という言叶が出てくるのは1597年です。醤油のつくり方は、プロセスは违うとしても比较的味噌に似ています。ただ绞る技术と、绞っても得られる液体分が少ないことから贵重品でありまして、そういう意味では高価でした。また大量のものを一度に绞らないと効率が悪く、なかなか个人的にはできないといった问题がありましたが、それを解决することが江戸时代になって初めて可能になったのです。
ようやく江戸时代になって醤油の工业化に成功します。和歌山、堺といった西日本の中心都市でつくられるような醤油が最初に工业化されます。そこで上方(かみがた)でつくられた醤油が船で大量に江戸に送られます。大阪から江戸に约500キロメートル下ってくる「下り醤油」が、大量に运ばれます。それは大変な量です。江戸の人口でその量を计算しますと、1人年间14リットルぐらいに当り、现在の日本人は平均すると大体9リットルだそうですから、今より5割ぐらい醤油をたくさん使っていたことになります。醤油が日本の味の中心になってきたのは18世纪以降で日本料理の今日の素晴らしい色、味、香りを完成させたのも18世纪です。醤油の诞生がそれを助けたのです。

味噌と醤油の役割

味噌も醤油も生产するのに时间がかかります。かつては1年とか2年かけてつくったものがありました。その长い熟成の间に蛋白质がアミノ酸にかわって、いわゆる?うま味&濒诲辩耻辞;が生まれます。
これは非常に単纯な比较なので、もっと详しく考えなければいけないのですが、西洋では塩とか香辛料とか比较的単纯な自然の素材を使って、料理する过程で味わいを深くする、调理の间に味を十分つけていくというのが基本的なつくり方ですが、日本の场合には、あらかじめ长い时间をかけてつくられた味噌と醤油がありますので、食品に味をつけるスタイルは比较的浅い、场合によっては、それをつけて食べる、食品の中にしみ込ませずに使うことも非常に多いのです。十分味つけされた料理が中国や西洋の料理の中心になってきますが、日本の场合は素材の味を助ける、素材の味を生かす调味料、つけ汁的な使い方がたくさんあります。
例えば、普通の庶民的なレストランや一般家庭のテーブルの上に何が置いてあるか、ちょっと考えていただきたいのですが、たいてい醤油が置いてあります。中国の食卓は酢と醤油が置いてあります。西洋の食卓ですと、けさ私が食べてきたホテルのレストランでもそうですが、塩と胡椒が置いてあります。それは使い方が违うのです。
西洋の塩と胡椒は、使いたい人は使うし、使いたくない人は使わない。つまり自分の好みで、サービスされてきた料理を调味します。すべてキッチンで完全に味つけされた料理が提供されるという点は西洋も日本も同じですが、日本の场合、料理のなかにたとえば刺身のような全く味つけしていない料理がテーブルに供され、必ず醤油が必要とされます。醤油の场合にはあらかじめ调理にも使いますが、卓上で料理に味つけをするために用意されているといった、両方の侧面があります。
それは日本の食べ物の性质と大変深い関係があります。日本には主食と副食という考え方があります。形としては饭、汁、御菜、香の物という4つの部分から日本の料理はでき上がっています。日本の食事は、味がほとんどない御饭が主体で、味噌汁という味の浓いスープ、御饭を食べるときに一绪に食べるいろいろな种类の肉や鱼、野菜の煮たもの、いわゆる御菜があって、香の物があるという构造です。
したがって味噌汁とスープは全然性格が违っています。スープはスープだけで食べてしまいますが、味噌汁は常に御饭と一绪に食べます。ドイツのレストランで日本料理屋に入りましたら、まず味噌汁が出ましたので、いつ御饭が出てくるのだろうと思って待っていたのですが、いつまでたっても御饭が出てきません。味噌汁を食べ终わらない限り御饭が出てこないという店に出会ったことがあります。皆さんは料理屋の日本料理を食べていることが多いと思います。そのスタイルでは次から次へとオードブルのような酒の肴风の料理が供されます。
これが日本料理だというふうにお考えかもしれませんが、そうではありません。あれは酒を主体とした宴会用の献立で、家庭の食事もそうですが、本来、初めから御饭に味噌汁、御菜がついているのが日本料理の基本形です。最后に、口の中の生臭い、特に鱼を食べた香りを中和させるために香の物、それで「香」という字が入っておりますが、そういう香りの强い食品を食べます。
きのうのお话にもありましたが、欧米の方がこうした基本形の日本料理を食べますと、味噌汁を先に饮み、御菜だけ先に食べてしまって、最后に白い御饭だけ残ると、全然味がありませんから、困り果てて、白い御饭にお醤油をかけて食べる人がありますが、あれは感心しないことです。味の淡薄なご饭と、味の浓厚な味噌汁あるいは御菜を交互に食べることで味のバランスをとりながら食事をすすめるのが日本人の食べ方です。淡薄な味わいの素材と浓厚な醤油の関係もそれと同じといえましょう。

『大日本物产图会』「下总醤油製造之图」叁代安藤広重作(キッコーマン(株)所蔵)

国境を越える调味料

最后に、これから味噌と醤油がどのように展开していくかをお话したいと思います。
第一に、発酵调味料は日本だけでなく东アジア全体に広がっている调味料でありますし、先ほど申しましたが、それは古代のローマにもあったのです。决して地方的な特殊な调味料ではなく、普遍性のある调味料です。西洋料理にもそれが大変よく合うということが、今いろいろな形で実証されてきています。第二に、味噌と醤油は西洋の多くの调味料のように油分を使わない。そういう意味では大変健康的に良い调味料であります。第叁に、日本の状况を考えてみますと、味噌も、日本の味噌だけではなく、特に朝鲜半岛の唐がらし味噌がたくさん使われています。文化の壁を越えてグローバリゼーションというか、新しい食材がどんどん行き交っている状况になっています。
なぜ调味料というものが必要になったのか、まだよくわかっていないことですが、本来は保存のためだったのではないかと考えられます。最初の调味料であったと思われるのは塩と酢で、いずれも自然のまま天然に存在するものが使えます。例えば、皆様もレモンをよくお使いになると思いますが、日本人は柚子(ゆず)というミカンを绞って鱼にかけて使います。そういうふうに自然にある调味料というのは味わいを调えるということよりも、もっと基本的にはその食品を保存する、腐らせないという目的が本来あったのかもしれません。ところが発酵调味料が出てきたということは、単なる保存ではなく、保存より嗜好がその理由に挙げられます。
そういう&谤诲辩耻辞;好み&濒诲辩耻辞;というものは环境あるいは民族によって违うというふうに考えられてきました。ところが、今、醤油が世界的に受け入れられつつあるということは、决してそういう嗜好が民族とか国境、文化に遮られるものではないという、新しい実験が进行しているところだと思います。つまり西洋料理の中で醤油や味噌が受け入れられるということで、より多様な味わい方が世界的に可能になっていくことが期待されます。それにつけてもぜひ知っていただきたいことは、本当の美味しい味噌の使い方、美味しい醤油の使い方を的确に试していただきたいのです。いつまでも煮立てておいた味噌汁をその都度くみ出して使うのではなく、でき立ての味噌汁の美味しさを実际味わっていただきたいのです。
以上のように、日本で独自の発展をとげた醤油が、全世界で受け入れられつつあります。その使い方はそれぞれの土地の伝统と融合しながら、また新しいスタイルが生まれるでしょう。そのとき、製品としての醤油だけでなく、醤油の日本での使い方や、そのおいしさを上手に引き出す方法も、あわせて参考にしてほしいところです。