糖心原创vlog

研究機関誌「FOOD CULTURE No.1」日本の伝統的食品と発酵の神秘

日本の伝统食品の特色のひとつときめつけてよかろう事に、目にも见えないほど微细な生きものを利用する、いわゆる「発酵食品」の世界が実に多彩だという点がある。身近にあるものをすらすらと列记しただけでも醤油、味噌、酢、酒、味噌、渍け物、纳豆、熟鮓(なれずし)、鰹节、くさやなど枚挙にいとまがないほど种类が多い。そして単に种类の豊かさだけではなく、奥が深いという点でも惊嘆に値する。
例えば醤油は今日の穀物を原料にした穀醤一种类に饱き足らず、歴史的に见れば他に鱼醤、肉醤、草醤(野菜を原料にした醤油)などもかつては全盛した时代を持っていたし、味噌とて大豆や麦や米の原料以外に、昔はさまざまな雑穀や楢の実、栃の実、远く南西诸岛の方面では苏鉄の実まで使って造っていた。また、米を原料とした日本酒も、平安时代の「延喜式」によると米の捣き加减や麹の使用量などに差をつけて、最高级の「御酒(ごしゅ)」や「醴酒(れいしゅ)」、役人の给与の一部として当てた「雑给酒(ざつきゅうしゅ)」、祭祀用の「白贵(しろき)」と「黒贵(くろき)」、料理用の「齏酒(あえさけ)」など、13种类の酒を自在に使い分けていたというから惊きである。
その辺りのことについては拙书「発酵」、「日本酒ルネッサンス」(いずれも中公新书)を読んでいただくことにして、ここでは日本の伝统食品の多くが発酵という神秘的な生命活动の応用に在ることに鑑みて、その原点にもなったと考えられる几つかの事象を述べてみることにする。

滋贺県に栗东(りっとう)という名の町がある。この地に、一风変った名称の神社が奈良时代という大昔に建立された。「菌神社」という。「近江国风土记』あたりにも出てくるような古い歴史のある神社なのだが、「菌」という名の付く神社はさすがに珍しく、私が调べたところでは全国唯一であった。
ところで漢字は中国から入って来たことに疑う余地はないが、漢字に於ける「菌」の意味を中国で刊行された歴史的に著名な字典である『辞源』や『辞海』、さらに日本で刊行された『漢和大字典』 で調べてみると、そこには「キノコ」の意味だけ記されているにすぎない。つまり、「菌」という字はキノコの総称を指しているのであるけれども、栗東にあるその菌神社はキノコとは全く関係がなく、実は祭壇に祀り上げるのはドジョウの「熟鮓」である。ドジョウの熟鮓は、生のドジョウに塩をして漬け込み、後日、それを炊いた飯と飯の間にはさみ込むようにして小桶に漬け直し、主として乳酸菌で半年も発酵させた保存食品である。何故、この菌神社に熟鮓を供げるのかについてはよく知られていないが、大昔から琵琶湖を抱く近江国では、鮒や、鯇(あめのうお)、鮎、ウナギ、ドジョウなどの熟鮓は保存食品として、滋養のある食べものとして、さらに貴重なタンバク質供給源として重要であったから、大切な米や魚や塩を使って、発酵によって造る熟鮓の失敗は許されない。神様、どうか上手に熟鮓ができ上がりますようにと、ドジョウの熟鮓を神棚に供げて祈ったのであろうが、まったくの偶然とはいえ菌神社に発酵菌で醸した熟鮓を供げるというのは誠に興味のそそられるところである。あたかもそんな古い時代に(乳酸)菌の存在を知っていたかのようなこのミステリアスな話の裏には、発酵という微細生物の応用に関わる古代日本人の技量の大きさや、発想の豊かさを感じずにはいられない。それにしても不思議な話である。
さて、平安时代の末期から室町时代にかけて、発酵食品を造る上で画期的な発明があった。「种麹」である。蒸した米に麹菌を繁殖させ、それを长く続けると麹菌は多数の胞子を着生するから、それを绢製の筛(ふるい)でふるって米粒と胞子を分け、胞子だけを多量に集めて乾燥し、保存することを考え出したのである。こうすることにより、得られた胞子を蒸した米や煮た大豆に撒くことによって、自由な时、いつでも安全确実に多量の米麹や大豆麹を得ることが可能となり、酒や醤油や味噌の大量生产につながった。ところがこの种麹の発明の里には、惊くべき巧妙な知恵が潜んでいたのである。というのは、种麹を発明するきっかけとなったのは、意外にも水田の稲穂に付く「稲麹」又は「稲玉」(「稲霊」とも书く)と呼ばれた深緑色の玉であった。今でも水田の稲穂につくことがあるので见かけることができるが、その玉は2种类の微生物の胞子が集まってできている。すなわち麹菌(Aspergillus oryzae)と植物病原菌の一种ウスチラジノイデア(Usutilaginoidea vircns)である。ところが大昔、ある知恵者の一人がこの稲麹を水田の稲穂から集めてきて、それに草木を燃やした后に出る灰を大量に加えて置いておいた。それを1年も経てから蒸した米の上から撒いて筵(むしろ)を被せたりして保温しておくと、蒸米の表面には麹菌だけが繁殖して、立派な米麹が出来上った。ウスチラジノイデアはどうなってしまったのかというと、强い杀菌性を有する灰に减ぼされてしまい、もはや生育することはできない。面白いことに麹菌は、灰に死灭させられることがないどころか、むしろ灰が大好きで生育に利用しているほどなのである。今日の种麹屋が、それを製造する际、今でも木灰を必ず使用するのはそのためなのである。とにかく今から千年近くも前に、种麹屋という知恵者が灰を使って麹菌のみを纯粋に培养し、それを「种麹」という名のスターターとして商品化し、それを醤油屋、味噌屋、造り酒屋、甘酒屋などに売っていたのであるから惊くべきことである。
勿论、こんな古い时代に微生物を分离して纯化し、単品でそれを売る商売など世界中どこを捜しても无かったのだから、日本人の知恵の深さにはほとほと恐れ入る。そして、おそらく「灰の(杀菌)力」を意识しながらそれを応用し、麹菌を纯粋に分离していた事実を见る限り、日本人は「微生物を纯粋分离した人类最初の民族」と位置づけて宜しいのかもしれない。とすると、当时、すでに日本人は「微生物」というものを意识した最初の最初の民族(现在、常识とされている人类最初の微生物の発见はオランダの科学者レーウェンフックが1673年に顕微镜を発明し、それを使って微生物の存在を明らかにした事象)ということにもつながることになるので、ますますもって浪漫深きことになる。
ざっとこんな风に、日本では大昔から微生物の応用の原点には神悬り的な発想や実践例があったのであるから、この国の気象风土と相侯って、その后の日本の食の文化の発展に、発酵は大きく贡献するものとなった。言いかえれば、カビ(糸状菌)や発酵细菌や酵母をこんなに大昔から巧みに利用する歴史と伝统があったからこそ、今日の発酵技术力が世界のトップクラスを突走っている所以なのである。
さて、あまりにも多い日本の伝统的発酵食品をひとつひとつ列挙して、その素晴らしさを语っていたらば、纸枚がいくらあっても収まらない。そこで以下に、日本人が発想した世界に他例のない惊くべき発酵食品を记しておく。そこには、発酵王国ならではの究极の発想、何でも食べてやろうとする日本人の挑戦、鱼食民族の面目、无駄を出さぬ日本料理の执念などといったものがびっしりと詰め込まれているのである。読者はそこから、この民族の発酵食品や伝统食品に対する知恵の深さやその原点となった発想性を読み取っていただければ幸いである。

石川県金沢市周辺の美川、大野、金石地区や、能登地方でつくられている伝统的な発酵食品に「フグ卵巣の糠渍け」がある。猛毒なものを食べ物の原料としているところに极めて异様さがあり、その有毒物质を微生物の発酵作用によって无毒化し、安全な食べ物にするという点で奇跡的なのである。
この地区は江戸末期よりフグの肉身の糠渍けがつくり始められ、明治初期には名物となって製造が盛んになってきた。マフグ(トラフグ)、ゴマフグ、サパフグ、アカメフグといった猛毒フグがその主たる原料になっていた。はじめは毒のない肉身だけを糠渍けにして保存食品にしていたのだから、何ら问题はなく、好评でよく売れた。ところがフグというのは、シーズンになるとメスは非常に大きな卵巣を抱え、その卵巣は薄膜に包まれているが、中は目がくらむほどの鲜やかな山吹色で、谁もがその食材の魅力に引かれるのであった。食べてみたいが命は惜しい。トラフグに至っては卵巣だけで1キロを越すものもあるほどで、大型のトラフグの卵巣1个でおよそ20人を致死させるというから猛烈なものである。
だが、どうしても捨ててしまうのは惜しい。そこで、谁となくそれを糠味噌に渍け込んでみたのだろう。何せ当时は、糠味噌は日常の食生活において不可欠の副食で、手を伸ばせばとどく身近なところにあったから、これに渍け込んでみよう、という発想が先ず出たのだろう。
しかし、ただ糠味噌に渍けるというような简単なことで毒が抜けるものではないから、完全に解毒されて食べられるように持っていくまでにはかなりの时间と知恵の注入が必要であった。発酵の途中、糠味噌から出してお毒见しながら、しかし何人かは犠牲になったかもしれないが、试行错误を繰り返して、ついに完成したのが、この世にも不思议な食べ物であったわけだ。世界広しといえども、この発想は日本人以外に他に例はなく、生活の知恵から出たものとはいえ强烈すぎるほどの食べ物である。まさに渍物王国日本、鱼食民族日本人ならではの発想と知恵から生まれた奇跡の発酵食品である。
その製造はまず、卵巣を集めるところから始まる。フグの肉身で糠渍けや味噌渍けなどをつくるために解体する时、出てくる卵巣を捨てずに取っておく。自分のところだけでは原料不足となるので、他のフグ加工会社からも买ってくる。また近年では博多や下関あたりの加工会社からも取り寄せ、とにかく立派な卵巣を集める。その卵巣を真水に入れて表面の汚れを取り、卵膜に付いている纽状の余分な细管なども取り去る。この卵巣を樽の中に入れ、30バーセントの塩で塩渍けして半年~1年ほど保存しておく。次にこの塩渍けの卵巣を取り出し、糠味噌に渍け込むが、この际、少量の米麹とイワシやサバなどの塩蔵汁を加える。こうして重石をして渍け込んで2年间以上、発酵、熟成させ、このまま糠渍けとして、あるいはさらに酒粕に1か月ほど渍けて出荷するのである。一般の鱼の糠渍けに比べて使用塩量が多く、発酵期间も数年かけるが、これは昔から「毒を消すため」という言い伝えが受け継がれてきたからであるという。渍け込む前にあった猛毒テトロドトキシンは、製品からはまったく消えてしまい、これを食べての中毒例は皆无であるばかりか、今日では金沢市内の土产物屋や渍け物屋、佃煮屋、空港の売店などでお土产としても売っている。この毒抜きのメカニズムは、まず塩渍けの期间で毒の一部が卵巣外に流出し、次に糠渍けの期间で残留した多くの毒が乳酸菌や酵母を中心とした発酵微生物の作用を受けて分解され、解毒されるものであることがわかった。
特に酵母より微细で活発に动きまわる乳酸菌は、塩渍け期间の间に卵膜に生じた小さな破膜のところから卵巣の内部に侵入し、テトロドトキシンを分解して二酸化炭素と水と窒素成分に分解し、その窒素成分を资化(食べてしまうこと)して无毒にするのであった。そのフグの卵巣の糠渍けとはどんな食べ物であるかを少々述べておく。においはかなり强く、独特の渍け物臭さを持つが、しかし大変に牧歌的というか、郷愁心をくすぐるにおいである。色は表面の膜部はやや灰白色で钝い色であるが、膜の中の卵巣ときたら目が冴えるほど美しい山吹色で、粒々の卵がびっしりと詰まっている。
味は酸味とうま味が强く、奥深みのある重厚なもので、これが猛毒を持った卵巣とはとても思えない风格を持っている。酒の肴にするのもいいが、金沢にいる知人に最も美味な食べ方として教えられたのは、お茶渍けである。热いご饭を丼に七分目ほど盛り、その上にフグの卵巣の糠渍けをほぐしながら好みの量を薄くまく。そこにおろしわさびを落とし、さらに叁叶のみじん切りをパラパラと散らし、粉山椒も少しまいて、その上から沸腾するほどの煎茶を注ぎ込み、ときめく胸を落ち着かせながら、やおらかっ込み始めるのである。その风味、まさに多くの茶渍けに比して抜きんでたものがあり、美味茶渍けとして第一等の席に座せしめてもよいほどのものである。とにかく、猛毒のフグの卵巣まで解毒して食べてしまう日本人のこの食行為の背景には、无駄を出してはならないという食材を敬う大切な気持ちや、何でも食べてやろうという限りない好奇心、文字通りの珍味を美味につくってやろうとする饱くなき执念、そして何と言っても発酵王国に积み上げられてきた歴史的な伝统と技术があるからなのである。

醤油麹を造る図(『广益国产考』、江戸时代)。「いりたる豆とむしたる麦を交、花を付る図」とある。花とは种麹のことである。
This illustration shows the production of soy sauce koji (From the *Koueki Kokusankou an agricultural book in the Edo era (1603-1867) The writings in the illustration say, *An illustration which depicts how to mix roasted beans and steamed wheat", and "An illustration depicting the flower (ane koji) being strewn on the mixture”.
麹売りの絵。室町时代、町にはこのような麹売りが出ていた(『七十一番职人歌合』より)。
This illustration shows a “koji - uri” (a stallkeeper who sold Koji) 2 on the street. (From the "Shichijuichi ban shokunin Uta Awase") During the Muromachi era (1336-1573), many such koji - uri sold koji on the street. (From the “Shichijuichi ban shokunin Uta Awase”)

小泉武夫
1943年、福岛県の酒造家に生まれる。
1966年、东京农业大学农学部卒业。
东京农业大学教授。农学博士.(财)日本発酵机构余呉研究所所长。
専攻は醸造学、発酵学。
着书に「酒の话」「灰の文化誌」「奇食珍食」「発酵1「日本酒ルネッサンス」など多数。