研究機関誌「FOOD CULTURE No.9」世界の食文化雑学講座 第2話
お皿でお茶を饮んでいた17世纪!?
红茶は、ソーサー(受け皿)付のカップに淹れて出すというのがいまや常识になっている。ところが、お茶が英国に绍介された当时は、カップの中の红茶をソーサーに移しながら冷まして饮んでいたという。英国の绅士?淑女がソーサーからお茶を饮む、そんな姿を想像すると滑稽でもある。その由来には、「ボリンジャー」という皿のような器の存在があった。
ティーカップ以前に使われていた器
1659年、长崎県の平戸から伊万里製のカップ5万客が输出されていたことが、平戸商馆日记の中に记されている。それらはアラビアのモカ港に运ばれ、ヨーロッパにも渡ったと考えられている。当时输出されたティーカップにソーサーはなく、カップは把手のないものだった。このスタイルは、红茶の饮用が中国圏の习惯を受け継いでいたからだといわれている。
その顷、英国でも、はじめて把手のないティーカップが输入され、王侯贵族の间で爱用された。ところが、彼らはカップから直接饮むことを下品だと考え、ソーサーを作ってほしいと输入元であるオランダの东インド会社に依頼したという。そのときから、カップとソーサーが揃って一客となり、カップに入った红茶をソーサーに移して饮むようになった。
この背景には、磁器のカップが输入される以前、王侯贵族の间では両手で持つ平たい「ボリンジャー」という器を使用していた生活习惯があった。ボリンジャーはカップの原形とされ、贵族たちはこれでハーブティーや薬を饮んでいた。そのほとんどは银製で、ヨーロッパで戦争があるたびにお金に代えられたり、溶かされて新しいものに作り変えられたりされていたという。そのため、现在では当时のポリンジャーはあまり残っていない。
そのポリンジャーを爱用していた王侯贵族の前に、突然、猪口のようなカップが现れたときには彼らは大いに惊いたことだろう。それ以上に、そうとう饮みにくかったに违いない。箸の文化で育った日本人が、西洋のナイフとフォークの文化に接したようなものだ。
产业革命后、一般庶民にも広まった喫茶の习惯
こうしたお茶を饮む习惯は、王侯贵族の间で猛威を振るっていた、痛风の疗法の一つとして広まったといわれている。お茶を饮むことで痛风の症状を缓和したり、予防できると考えられていたのだ。しかし、当时のお茶はとても高価だったので赘沢な疗法だった。
そのお茶の饮用が王侯贵族から上流阶级、中产阶级、そして庶民层にまで広がるには、17世纪半ばから20世纪半ばまで约300年の时间が必要だった。その间、王侯贵族のマナーが受け継がれ、中产阶级や庶民阶级までに浸透した背景には产业革命の成功がある。
ヴィクトリア朝の英国は、世界の工场として繁栄して国民全体が豊かになった。同时に、红茶が庶民层にまで饮まれるようになり、红茶文化が定着したといわれている。その顷のロンドンの街头には、早朝に饮み物や軽食をサービスする屋台のような店が出ていた。朝早く仕事に向かう労働者たちが利用していたようだが、现代のバーガーショップのようなものだろう。そこで多くの人が英国人らしく热いミルクティーを饮んでいた。しかし、慌しい朝の时间にゆっくり食事を楽しむ时间はなく、热い红茶をソーサーに移して冷ましてから饮んでいた。
もちろん、今日ではそんな习惯はほとんど见られない。しかし、1940年代にイギリスの作家骋?オーウェルが、叠叠颁の食堂で红茶を受け皿から饮んでいたというエピソードが残っている。生活习惯やマナーは、长い时间を経てさまざまな形に変わっていく。时代の変迁とともに道具が変われば、それも当然だろう。
- 「紅茶を受け皿で」(小野二郎著 晶文社)
- 里帰りカップ资料馆(千叶県市川市)


