研究機関誌「FOOD CULTURE No.4」特集東アジア食文化の流れをさぐる???
韩国料理と食文化
韩国料理がブーム
サッカーW杯日韩合同开催があって、いま日本では「韩国ブーム」であり、中でも料理への関心はひときわ高いようだ。
日本?韩国とはまさに隣国そのものであり、生活文化圏としては同じ位置にあるとみてよいのだが、食生活を比べてみれば、かなりの违いがあることに気づくのである。
もし韩国旅行で食事を「韩定食(ハンジョンシク)」というメニューをいただかれるとしたら、その品数の多さとボリュームに大抵の人はいささか面食らうか、感动されるに违いない。食べきれないのである。日本の「定食」に驯れた感覚からすれば残すくらいのものなら量を减らして価格を安くすればよいのに、と思うのだが、そこが、韩国文化ならではの特徴なのである。「韩定食」とは赘沢そのものであり、ご饭、スープ、キムチ、ナムル(野菜の和えもの)、チゲ(锅もの)、チム(蒸しもの)、クイ(焼きもの)、ポックム(炒めもの)、チョリム(煮もの)、煎(チョン:衣焼き)、膾(フエ:刺身)、チョッカル(塩辛)などが势揃いした格式あるコース料理なのである。膳いっぱいに料理が并んださまは圧巻である。手の込んだ料理を膳の脚が折れるくらいたくさん并べるのが、心のこもったもてなしとする。
この韩定食ほどではないが、「白饭(ペッパン)定食」、「焼肉定食」、「豆腐定食」などもメインの焼肉や豆腐以外に数种类のおかずがセットになっており、食べ残るのは普通で、豪华な料理という印象を受けるのである。
この赘沢、豪华な定食とする配膳法は、朝鲜王朝时代の宫廷料理や上层阶级の食事にそのルーツがあるとみてよい。韩国ではお膳立てのことを「床(サン)チャリム」と呼び、伝统的なのは、おかずの数によって叁楪饭床(サムチョプパンサン)、五(オ)楪饭床、七(チル)楪饭床、九(ク)楪饭床、十二(シビ)楪饭床という形式がある。「楪(チョブ)」はおかずをいれる盖付の器のことで、叁楪なら叁菜、五楪なら五菜ということになる。朝鲜王朝时代、庶民の食事は叁楪で裕福な家では五楪か七楪で、最高でも民间は九楪までとされ、十楪以上は王家つまり宫中のもので、王の日常食事の「水刺床(スラサン)」の基本が十二楪饭床であった。
この品数が多くて格式ばった配膳法が现在の「韩定食」に反映されているわけである。豪华で格式を重んじた料理と配膳を生み出した背景には、朝鲜王朝时代から强く打ち出された儒教思想が関わっている。

仏教文化から儒教文化へ
朝鲜半岛に仏教が普及しはじめるのは4世纪ごろからである。仏教が伝わるまでは畜肉は自由に食べられる対象であり、家畜は贵重な财产であった。仏教が広まると杀生禁止の戒律が厳しくなり、食肉は禁止となる。朝鲜半岛は6世纪半ばで全土が仏教を国教とするに至る。动物肉の食用は慎まれることとなった。この「精进料理」のような时代が13世纪半ばまで続く。この食生活が変わるのがモンゴルの高丽国侵入とその后の130年にわたる支配である。
游牧民族で乳製品、肉を常食とする生活文化は、仏を信じ、植物食品に依存していた生活文化におおきなインパクトを与え、支配者の肉食文化はまたたくまに広がりをみせる。食べてはいけなかったが、食べてみると味がよく健康によいということで、肉食文化は仏教以前のように「復活」する。仏教の戒律は食生活では骨抜きになってしまう。
そして约130年间のモンゴル支配が终っても、食生活では肉食文化がそのまま根を下ろすことになる。この食生活文化をさらに固めたのが、新しく政治を司ることになった朝鲜王朝である。仏教政治を排し、儒教思想を柱とする「崇儒排仏」政策をとったのである。仏教文化の食肉禁止は公にもなくなってしまったのである。15世纪を境目に朝鲜王朝の时代となり、儒教文化が花を咲かせ始める。
肉食が公に可能になったからといってしょっちゅう食べたということではない。むしろ肉类は贵重であり、高级な食べものになるのである。贵重であるゆえに当然食材をあますところなく利用する知恵が発达する。牛や豚などの头のてっぺんから、足のつま先までの各部位を、上手に料理するという技术が开発される。
料理法も生、煮る、焼く、蒸す、干す、塩渍けなどと幅に広がりが出てくる。いま焼肉店でみられるメニュー类は、このような食肉文化の蓄积によって生み出されたものにほかならない。肉料理ひとつだけを取り上げても、それが儒教の生活文化と深くかかわっていることが理解できよう。
饮料の文化
儒教が重んぜられ、仏教が排されることにより、衰退したのが饮茶の风习である。いま韩国ではコーヒーは饮める。红茶も緑茶もある。しかし日本ほどではない。ごく近年までは緑茶はなかったのである。それはどうしてか。
饮茶の风习は仏教と共に中国から伝わるのは7世纪ごろからとされ、仏教仪式には欠かせないものだった。茶の树の栽培は、记録によれば828年に唐の国に使臣として行った人が、茶の种子を持ち帰り南部地方の智异山(地理山)に植えたことに始まる。
茶の生产が始まると茶を嗜む风潮は盛んになり、高丽时代には王公、贵族、寺院などのいわゆる上流阶级では、各种の「茶の会」が持たれている。宫廷では进茶の仪式というのが出来上がる。王子、皇女の婚礼などでは必ず执り行われるものとなった。これを担当する「茶房(タバン)」という部署がつくられた。いま韩国では喫茶店のことを「茶房」と呼ぶのはここから来ている。
寺院では仏前の供養にとどまらず、僧侶たちの贅沢な遊びへと発展した。「茶亭(タジョン)」がつくられ「茶菓(タガ)」が考え出され、「茶食(タシッ)」と呼んだ。 大きな寺院は周辺に「茶村」なるものを持ち、それを栽培する「茶田」があり、その水となる「茶泉」を持ち、茶栽培と製茶業を発展させた。
これが衰退するのである。その大きな理由は仏教の后退にある。朝鲜王朝が政治?文化?経済の分野から仏教势力を排除することを强力に推し进める。
寺院や贵族などの特権阶级を中心に隆盛を夸った饮茶の风习も、朝鲜时代に入って急激に衰え始め、17世纪ごろからは茶の生产地が消えていくのである。これが今日まで続いたとみてよいだろう。まさに儒教文化の势いに负けてしまったのである。
近年ようやく一部で茶园が造成され、緑茶の生产も始まったが、未だ生活に根を下ろしたとはいえない。いま韩国の家庭ではご饭のお焦げから作るスンニュンや、トウモロコシ、麦などの穀茶、高丽人参などの汉方を利用した薬用茶などが用いられる。饮料文化こそ儒教の影响を受けた、代表的なサンプルといえるだろう。
儒教思想は中国の孔子、孟子の教えであり、宗教そのものではなく、道理を説き礼俗を重んじた。
とくに人间が一生の间に通过する「节目」として执り行う通过仪礼は厳しく生活を律することになる。仪礼には多くの人が集まる。その时の饮食づくりはとりわけ大切な作业であり、料理づくりは身につけねばならない技术であった。
この饮食づくりは协同作业にならざるを得ないが、その场を介して饮食づくりの文化は広がっていくことになる。この朝鲜时代に入ってからの儒教の生活文化が今日にまで続いてきたものだとみてよいだろう。
亲や年辈者を大切にし、先生を敬い、主には使えるという儒教精神は、おいしく栄养のあるものは、自分ではなく、先ずは年辈者、亲たちにということになる。自分は不十分な食べものでも、お客様には立派なものを食べ残すくらい出す、というのが礼俗となる。この精神がだんだん薄れてきているとはいえ、今も脉々と続いている。それが食生活にあらわれるのであり、そのひとつが「韩定食」などの赘沢な配膳になっているのだ。
韩国の食文化は儒教文化と深くかかわっている。



料理と「薬食同源」の思想
韩国料理の根底には「薬食同源」の思想が流れている。食べものに「薬」の字が使われているのが目立つ。薬饭、薬水(ミネラルウォーター)、薬念(调味?香辛料)、薬酒、薬果、薬コチュジャンなどである。
これらは儒教以前から根强くあった阴阳五行の思想にもとづくが、あらゆる食べものに、その「薬用効果」の意味合いを付与しようとするわけである。基本的に、人间は自然の存在であるとの考え方から出たものといえよう。食べものは自然からの恵みであり、人间もまたその自然の中に存在しているからには、それをちゃんと摂ることが必要である、とするわけである。
その自然は阴と阳とで成り立ち、五行で动くというのだ。食べものも自然にあるものを偏らずに青?赤?黄?白?黒色の五系统の食材を等しく摂ることが健康につながるという考え方である。このような思想の表现ともいうべき料理のたぐいが、生活の中に多くみられる。薬饭(ヤッパブ)がそうだが、「ピピンパプ」と呼ばれる混ぜご饭もそれである。焼肉店では人気メニューだが、これは别名「骨董饭(コルトウンバン)」とも呼ばれる。肉、鱼、野菜类の食材をご饭の上に盛りつけるのだが、これらの食材を合わせるとほぼ五色の系统の色が集まる料理となる。つまり、これ一食で自然の恵みをすべて合わせ摂ることのできる「健康料理」ということになるわけである。
また「九折板(クジョルバン)」という料理がある(写真)。朝鲜王朝の宫廷料理としてよく知られているのだが、9种类の料理で成り立つ。八角形の器の中央には小八角の空间があり、そこには白系统の包み材が入る。外の八角にはそれぞれ対面して四色系の料理8种が詰められている。8种の料理を少しづつ取って白色の包み材メニュー(小麦粉を溶いてうすく焼いたもの)で、包みこんでひと口でいただく、という具合である。9という数字も縁起の良いものとされ、この「九折板料理」は高级で目出たい时などに使われるメニューでもある。
韩国料理は日本に比べると野菜料理の种类が豊かで、またそのボリュームも多い。この野菜料理の多いことが、この五色料理を演出するのに役立っている。和えものの「ナムル」には生和え、ゆで和えともに、ごま油が味つけに必ず使われるが、このごま油が和えもの料理に欠かせないものとなったのは、儒教文化以前の仏教文化の影响と考えられている。つまり肉食禁止の生活で、野菜类などの植物性食品に頼りがちな食生活での、栄养不十分さを补うのにごま油を多用したものとされ、韩国料理では「ナムル」に限らず、各种料理にごま油がよく使われているのは、この仏教全盛时代の名残が今日まで続いているためだとみてよいだろう。韩国料理の味の良さとヘルシーさを演出する大切なポイントが、ごま油であり、このごま油が「薬念(ヤンニョム)」という调味料そのものだということである。
このような「理屈っぽい」食生活が、ひとつの伝统のようなものになっているためか、食事担当の家庭の主妇たちが、料理をつくっては、〝やれ健康によい食べもの〞〝○○に効果がある料理〞など、効用を説く人に出会うことがある。阴阳五行の思想や理论を知っているからではなく、亲や年辈者たちとの生活环境や习惯の中で自然に身についた「知识」なのである。阴阳五行の思想は「生活化」してしまっているわけである。
「匙文化」と「箸文化」
朝鲜半岛の食事をする道具は、匙(さじ)と箸がセットである。ご饭をいただくもの、スープを食べるのも匙であり、汁気のメニューはすべて匙でいただく。箸を用いるのは汁気がないおかずだけである。
つまり匙は食事をするときの主役で、箸は脇役である。食膳に置かれる位置は、匙が手前で箸はその奥である(写真)。食事のスタートは、匙を手にとり、スープを味见し、「キムチ汁」(水キムチの场合)を味见し、ご饭をひと口含むことで始まる。
この点、箸だけの食事方法の日本の场合と全く异なるのだが、案外気づいていないのが现状であろう。この匙が主役の「匙文化」と箸だけの「箸文化」のちがいはさらなる広がりをみせる。食器の大きさにかかわってくる。ご饭を匙でいただくとなると、食卓の食器は手で持ち上げる必要がない。左手で支えて匙ですくったご饭を口に运ぶ。结果として食礼では食器を持ってはいけないことになっている。
箸でいただく日本の场合、食器から口までの间にこぼれるため、食器は左手に持ち上げ、口许に近づけていただく作法となる。持つ食器は軽くて小型が良いので、ご饭の容量は少なくなる。ために「おかわり」が必要となるし、それが当たりまえとなる。匙文化の朝鲜半岛では、ひとむかし前までは、食器が金属製大型で、ボリュームも多いので、「おかわり」はなく、残すのが礼仪であった。昨今は生活改善运动などで、この形式主义が廃され、食器もやや小型化し、食べ残しはなくなり、おかわりも可能になってきた。ただ年辈者の中には、この食礼にこだわる人たちもみられる。
日本の箸文化のそれに比べて汁気つまり水分が多いのが目立つのが特徴だ。先ず粥の种类の多いことである。米の白粥だけでなく、肉、鱼、野菜类を使った粥が多くみられる。匙を使うことからこれらのバラエティーは広がりをみせるわけだ。
「クッパプ」というのがある。スープとご饭を合わせたもので、粥ではない。これも匙でいただく。スープは鱼肉类、野菜类がたっぷり使われていて、この一品でバランスのとれた食事となり得る。箸を使ってはこのメニューは食べられない。先に取り上げたご存知の「ピピンパプ」というまぜご饭は匙文化の典型だろう。大型の食器にご饭が容れられ、その上に五色系统各种のおかずが具として盛られている。これを混ぜ合わせるのだが、箸ではもちろん混ぜられない。匙でダイナミックに混ぜ合わせる。いただくのも匙であり、箸で食べることは不可能である。
「チゲ锅」というみそ味仕立ての汁もの料理がある。「テンジャンチゲ」と呼ばれて、焼肉店や韩国家庭料理でもなじまれているメニューだが、これも箸では食べられない。匙で汁と具を合わせて取り、味わうのがこの料理の味わい方である。「チョリム」という煮つけ料理も汁と具(鱼介类)を共に匙にとっていただくものである。こうしてみるならば、匙の文化として成立した韩国の料理と、箸を使うことで出来上がった日本のそれとは、かなりちがってくる。
日本料理はよく〝美しい〞〝みせる〞料理だともいわれる。それは箸文化の料理だからともいえる侧面を持っているからだろう。箸でつまめる固さ、大きさ、形が求められる。包丁の切り口が目立つ。これらは当然のこととして器に盛りつけやすく仕上がる。まさに见せるための演出が可能な料理といえよう。匙文化の场合、少々形のくずれたものでも、匙ですくってしまえば、口に运ぶことができる。盛りつけなどの见栄えを気にしなくても済む特徴があるといえば、言いすぎだろうか。
トウガラシと「渍物文化」
朝鲜半岛の料理の特徴は、味つけに辛いトウガラシが使われることであろう。その典型は渍物の「キムチ」である。朝鲜料理が古くから辛かったわけではない。トウガラシの最初の记録が见られるのは、1614年刊の『芝峰类説』(李光着)で、日本から伝わったので、「倭芥子(にほんからし)」と呼んでいる。辛さを毒ととらえ「大毒あり」として、これを焼酎にまぜて饮んだ人たちの中に死人が出たとして、危険视している。この否定的な取り上げ方が、肯定的なものへと変わるのにほぼ100年の歳月を要している。1715年刊の『山林経済』(洪万选编)で、はじめて作物として栽培法が记されることになる。今日のように渍物づくりのキムチに使われるのは1766年の『増补山林経済』がはじめてである。
トウガラシの渍物への导入は、渍物つまりキムチづくりに大きな変革をもたらすことになる。トウガラシ以前の野菜类の塩渍、みそ渍、しょうゆ渍、水キムチなどに新しいアイテムを加える役割を果たし、キムチの种类の幅が広がることになる。
トウガラシのキムチへの使用は、渍物づくりに「革命」をもたらしたともいえる。辛味成分のカプサイシンは食品保存効果がある。トウガラシに限らず、山椒、胡椒、ワサビ、ニンニク、芥子、ショウガなどの香辛料には、共通して防腐効果が认められる。
香辛料は料理づくりで味の调和などが目的で使われると受け止められることが多いが、元をただせば、食べものの保存を目的とした防腐剤の役割を期待したものだったと考えてよいだろう。トウガラシがキムチに取り入れられる前には、辛味のある山椒、蓼(たで)、ニンニク类が野菜の渍物に使われていたのも、保存効果を期待したものだったとみられる。
刺激のある辛さは渍物类の腐败防止のイメージにぴったりであるのみでなく、赤い色が何かと役立った。材料の野菜类は緑?黄?白系の色彩を持つ。これに赤いトウガラシが配色されることにより、鲜やかなコントラストをなして、见た目にも食欲をそそる。
辛い味は塩味とのバランスを取ってくれる。塩っぱさをマイルドに感じさせてくれる。塩味よりも辛味を强く前面に感じるため、塩っぱさがうすく感じられ、渍物の味が単纯なものから复合の味へと幅が広がる。结果として塩分量を减らすことができて、渍物の味を良くすることになった。またトウガラシの使用によってそれと合わせる副材料の薬味にも新しいものが加わる。
キムチの味の演出者
キムチの味をもうひと味深めているのが塩辛类である。朝鲜半岛は叁方が海に囲まれ、鱼介类の塩辛の种类が多い。これも保存できる备蓄食品である。これが同じ保存目的の植物性食品の渍物に组み合わされることになる。この植物性食品と动物性食品のドッキングを可能にしたのは、トウガラシのカプサイシンだと考えられている。动物性食品である塩辛类には脂质が含まれている。この成分の変质防止効果があるのがカプサイシンだというわけである。そのために塩辛类が渍物に使われることによりキムチの内容が変化してくる。それ以前の水分たっぷりのキムチ(「冬沉(トンチミ)」または「水(ムル)キムチ」)とは别に、薬味の副材料が使われるキムチが考え出されるようになった。つまり、塩の前処理をして、塩と水切りをした野菜に薬味を合わせて渍ける现在の「ハクサイキムチ」のタイプが新しく登场したのだ。これはハクサイのような広い叶で、少し结球するような野菜が、ちょうどこのころから登场してくることも関係している。粉トウガラシ、ニンニク、塩辛、各种果実の刻んだものを合わせた薬味が、大きな叶と叶の间に挟みこまれる。
キムチのつくり方と味は大きく変わった。それまでの、野菜に塩と少量の香辛料のみだった渍物の味は、塩味、うすい辛味、発酵した酸味が主だった。つまりシンプルな味といえよう。これに强い辛味とうま味が加わった。
塩辛にはタンパク质があり、それが分解したアミノ酸が多い。これがうま味を持っている。渍物の味がいわゆるコクのあるものになる。この副材料の薬味の配合量、方法によって、多様な味のキムチができるようになってくる。これによって各种のキムチが考案された。ダイコンのサイコロ大角切りキムチ、「カットゥギ」と呼ばれるものがある。これはトウガラシ使用以前にはなかったものだ。白色のダイコンに対照的な赤色の鲜やかさを配することにより、美的感覚を取り入れたキムチといえよう。李朝の宫廷料理のキムチメニューの一品であるが、王の歓心をかうために、ある女官が考えついた一种のインスタントキムチだとされている。见るキムチだといえるかもしれない。今は、このキムチにも塩辛を使い、味を大切にするつくり方となっている。
キムチの価値
もうひとつ大切な薬味にニンニクがある。キムチづくりではニンニクは欠かせないものだが、日本でのキムチには、これのないものが多い。それはあの强烈なにおいのせいだろう。ニンニクのにおいは一般にはきらわれる。しかし、これが本场においてのキムチの価値と味にかかわる重要な要素であることは否定できない。
ニンニクのアリシンの杀菌力は、渍物の保存効果にかかわるし、ビタミン叠1含量の多いことは、栄养効果にかかわってくる。ニンニクのあることがキムチの価値を高めることは间违いない。味にも微妙な演出がみられ、刺激性の成分にトウガラシとはちがったものがある。その味とニンニク特有のにおいのミックスされたものが、まさに「キムチの味」なのである。このにおいと刺激に驯れた人たちは、キムチを食べるとき、これがなければキムチではないとまで言い切るくらいである。キムチのもうひとつの価値は発酵食品であることだ。
発酵作用が进むことによって乳酸菌が多くなる。乳酸菌の健康効果はヨーグルトや乳酸菌饮料によってすでによく知られている。それらの乳酸菌と全く同じではないが、キムチの汁に乳酸菌が多くいることは、「健康食品」と位置付けることができる。さらに発酵作用の结果として材料の野菜类にはなかったビタミン类が生成されてくる。
トウガラシの辛味成分はカプサイシンである。その働きは脂肪を燃焼させ、肥満を防止する効果があるとされているとともに、胃を刺激し、消化液の分泌を盛んにして食べものの消化吸収をよくしてくれる。キムチを食事の时のおかずとしていただくのにぴったりの価値である。
さらにこの成分にはエンドルフィン効果と呼ばれる作用があり、别名「快感ホルモン」ともいわれる。ストレス解消、気分そう快にしてくれる効用なのである。体が热くなり、発汗することでそれは実感できる。
いまこのキムチが日本に急速な広がりをみせている。平成13年度の消费量は32万トン(食品需给センター)で、渍物业界のトップを占めている。すでに平成8年からトップであるが、この5年间で実に3倍の増加ぶりである。このことは日本の消费者の人気食品であることを意味するが、それはキムチの食べものとしての価値があることを証明してくれている。
こうしたすばらしい価値を持ったキムチは、长い间、朝鲜半岛で生きる人々の食生活と健康を支えてきた、かけがえのない食べものだった。さらに19世纪に入るとみそにトウガラシが使われるようになる。すでに「椒豉」という山椒入りみそがあった。これの名产地とされる地域でトウガラシ入りみそが、最初に记録されていることから、山椒の代わりにトウガラシが使われたものとみられている。トウガラシみそ、つまりいまの「コチュジャン」と呼ばれるものである。コチュジャンは调味料そのものであり、各种料理の味付けに重宝なものとなる。この常备の万能调味料が辛い味であることが、韩国料理が辛くなった大きな要素とみてよい。
食肉文化が定着しその料理法に胡椒などの辛味香辛料が使用されていた。しかし、この胡椒は外来输入品で高価であったし、自家栽培ができない。同じ辛味でも栽培可能なトウガラシが、やがて代用されるようになったものとみられる。さらにトウガラシの未熟果は辛くないので夏のシーズンには野菜代わりになることもできた。
このように要素がからみ合いながら、朝鲜半岛の料理は辛くなっていくのだが、歴史的にはそんなに古い伝统があるものではないことが理解できよう。
「キムチ」と「コチュジャン」は韩国では家庭の常备食品であり、つくり方も家庭ごとに工夫がみられる。家庭の味、おふくろの味のきめ手となるのだ。韩国食文化を代表するものといっても过言ではない。
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郑大声(チョン?デソン)
滋贺県立大学人间文化学部生活文化学科教授。 大阪経済法科大学客员教授。国立民族学博物馆共同研究员。 本籍地は韩国?庆尚南道。1933年京都府宇治市生まれ。 大阪市立大学理学部大学院修了。理学博士。朝鲜大学校(东京都小平市)教授、モランボン味の研究所长を経て95年より现职。食文化に関する讲演、着书が多い。 |



