糖心原创vlog

研究機関誌「FOOD CULTURE No.22」中国の食ー首都北京の今昔

中国食文化研究家?中国料理研究会代表 木村 春子

中国の食ー首都北京の今昔

一般的に、中国料理は四つに大别して呼ばれている。北の北京料理、东の上海料理、西の四川料理、南の広东料理である。それぞれに个性的な特徴があり、それなりの食文化を育んできた。
今回取り上げた「北京料理」は、油を使う爆(パオ)?炸(チャー)?炒(チャオ)などの调理技术に优れており、代表的な料理として「北京鸭」(ペイチンカオヤー:北京ダック)、「淛羊肉」(シュワンヤンロウ:羊肉のしゃぶしゃぶ)などがよく知られている。
长年、中国の食文化と料理を研究し、约40年に亘ってこの分野から北京を见てきた体験より、本场の北京料理の移り変わりをリポートした。

はじめにー北京の歴史的位置

北京が中国全体の首都となったのは日本の鎌仓时代で2回の元寇(1274、84年)があった「元」の时代である。マルコポーロの『东方见闻録』には、その豪华さが记述されているが、次の明代(初期の都は南京だったが迁都して北京に戻った)、その次の清代、そして现代と国都であり続けている。七百年余の歴史の古い古都ともいえるし、また中国四千年の古い歴史からいえば「さほどでもない」とも见ることができる。
つまり春秋戦国时代の昔から呉の都、越の都として栄えた苏州や绍兴、唐の都だった长安(现在の西安)といった文化都市にくらべれば、古さと雅やかさでは劣るかもしれない。
北京という名は文字通り北の都の意味で、位置としては河北省の中にある。北京に行った観光客がしばしば近くの八达岭あたりの万里の长城を见て感激するように、今の东北叁省(辽寧省?吉林省?黒龙江省)が中国の范囲に入らず「満州」だった时代では、中国の中でも北の端にあった地域である。
北京では燕京大学とか燕山山脉などと「燕」の字のついた名をよく见るが、昔このあたりは「燕(えん)」とよばれていた。古代文明の発生地黄河流域の、いわゆる「中原」とよばれた中心地からは离れて、むしろ満?蒙の北方势力と対峙し、中原を守り、北方异民族との交流や贸易をした地であり、国内の势力が落ちれば即、外敌が攻めこんでくる门戸でもあった。
「京菜」とは北京料理のことで、京は都を示すものだが、北京料理の特徴というと都风の上品さばかりではなく、やや复雑な面がある。北纬40度ぐらいに位置して日本の秋田?盛冈よりやや北ぐらい。风土からいえば北方型で冬は寒冷な乾燥地帯だから、米作に适さず、小麦の粉食が多い。その他の雑穀?豆类も多い。そのため、味噌?醤油など穀类を発酵させた穀醤による咸味の胜った调味、豚?羊?あひる?鶏など肉类、体をあたためる油脂?葱?にんにく?にら等の香味野菜を多用する。
北京料理の特徴をひと言でいいにくいのは、さまざまな要素があるからで、品のよい淡白な宫廷料理がある一方で、大众が食べるのは屋台で出される内臓料理だったり、饼や饺子の粉食点心などの庶民的な軽食などである。この地を都にした「元」はモンゴル人、清は満族という北方异民族の王朝であった影响も大きく、都ではあっても复雑な「都ぶり」以外に荒々しい野生味を感じさせる一面もあり、繰り返し戦场となり异民族に支配された土地だった名残りがある。

北京の旧正月顷、轮タクによる「胡同めぐり」観光。この时期、水饺子を食べる习惯があり、饺子作り体験コース観光もある

北京の老舗料理店

「老字号」という呼び名は老舗のことだ。さすがに清代末期に创业したという老子号もいくつかあり、代表的な北京の名店なら全国的に有名である。
私自身が、初访中したのは国交正常化(1972年)して间もなくの37~38年前で、まだ文化大革命の雰囲気が色浓く残っていた。食事をする店など自分达で指定はできず、北京ダックの名店に案内されたのは嬉しかったが、老舗「全聚徳(チュアンジゥドゥ)」の王府井店の看板は「王府井烤鸭店」とあるだけで、文革时代には老舗とか伝统は无视されていたことがわかる。ただあひるの処理や枣(なつめ)の木を燃やしてあぶり焼くかまどは、本来の丁寧なやり方だった。
ところで、私の入手した1983年発行の『北京指南』という中国语案内书では、代表的な料理店の一覧表があるが、北京とついているからには北京ダックこそ一番の北京名物だろうと思ってみると、市内に何轩かある「全聚徳」や「便宜坊(ビエンイーファン)」といった有名店の肩书きには「山东风味」となっている。ほかにも「豊沢园(フォンゾォエアン)」「同和居(ドンホォチュ)」といった一流有名店は山东料理のジャンルとされている。
そこに北京料理界の特色があるのであって、北京らしい味は庶民的な小吃(シャオチ:軽食と訳されることが多い)にあるといわれる所以(ゆえん)でもある。华北地方の中では海に面し、気候上も产物も恵まれて、古くから生活文化が高かった东隣りの山东省は、行政上の首都である北京の食の分野での主轴となっており、料理人も山东出身者で占められてきた歴史がある。便宜上中国の东西南北の四大地方に分けて、北方系の代表を北京料理とする见方が一般的だが、オーソドックスな料理らしい料理は山东料理が母体となっており、素材や调味、强い火力の炒め方などの特色は山东料理の流れにあって、この切っても切れない関係は北京の人达も当然のように认识している。
では老舗の中で「北京风味」はどこかというと、「都一処(ドゥイーチゥ)」(清代の名君乾隆帝が大みそかの夜一轩だけ営业していたこの店でシューマイを食べ、「都で一番」と评したという逸话からこの店名がつけられた)、「沙锅居(シャーグオチュ」(祭事の供え物にされた豚一头を宫家から下げ渡され、白煮したものを薄切りにして土锅にしたという由来のある锅料理店)、それに羊のしゃぶしゃぶが美味い「东来顺」、羊の焼き肉の「烤肉季(カオロウジィ)」などであろう。こうした羊肉料理は清朝末期に回教徒が创业した店が多い。
特别な存在なのは、北海公园にある「仿膳(ファンシャン)饭荘」である。元来は离宫だったので、西太后ゆかりの料理や、有名な点心を伝える「宫廷风味」である。「仿」とは「倣」と意味も読みも同じで「御膳」(皇帝の食事のこと)にならうという意味の屋号だ。1911年に清朝が倒れてから数年后、宫廷料理の厨师が集められて开店し、ナプキンや食器はすべて黄色(皇帝を象徴する色)で统一され、「慈禧御点」(慈禧太后、つまり西太后が好んだ小さな菓子类)が特に有名である。
そのほか料理店リストには、上海?広东?四川?云南といった他の地方の有名店が多くあるのも特色で、かつて、レストランが発达していない时代、北京在住の高官、地方から上京したり派遣されたりした役人は互いに自宅に客として招いて、おかかえのコックの料理で宴会を开いたという社交方法がしのばれる。
私はいつも东京に「东京料理」という店が少ないこと、関西割烹や地方料理の店は多く、世界中の国の料理が食べられるのに、江戸前の寿司といった元来は軽食だったもの以外には「东京料理」をあまり见かけない东京の食事情と、北京は共通したものを感じる。都としてのあり方と関係があるのか、北京の食の复雑な面である。

いわゆる北京ダック「北京鸭」。下ごしらえをすませ、焼く顺番を待つあひる
清の6代皇帝?乾隆帝(1711-99)の日常の食事メニュー记録
山东料理のひとつ「さそりのから扬げ」。カリカリと香ばしく美味で薬膳でもある
清代から続く老舗「沙鍋居」の名物豚肉料理「白肉砂鍋」 。「沙鍋」(砂鍋)というのは「土鍋」のこと

ホテル

日中戦争が终わり共产主义の新中国が成立した后、文革を経て壁新闻のスローガン、人民服だらけの街中の风景が落ちついて、次第に世界からの旅客がふえて、北京の料理界も栄えてくるようになる。
私自身、中国の食文化や料理にふれたい研究者や爱好者のための会を主宰しているので、毎年のように访中を重ね、北京の変化も见てきたつもりだ。
ただ、はじめの顷には政府筋の要人をはじめとする客が多いにもかかわらず、北京ではホテルが限られていて、需要と供给のバランスがよくなく不便であった。中国全体の国力が増して徐々に近代化が进んでくると、外国人観光客が増加するにつれて外资系をふくめ、立派な大型ホテルがふえてくる。中国返还前の香港は名実ともに世界中のグルメが集まる食のメッカであり、见た目の华やかさ、洗练された味もすぐれていたからだろう。北京の主なホテルのダイニングや宴会のシェフは香港からよばれて、広东料理が多くなっていた。北京を访れながら、北京の味にふれず帰って行く旅客もかなりあったと思う。
キッコーマンが企画制作、当时の岩波映画製作所が製作した「中国の食文化」の撮影に私は同行(1984年)して、何ヶ月か中国で仕事をした。北京では「北京饭店」に宿泊していたが、このホテルのメインダイニングは四川料理で、黄士云という名料理长に协力していただいた。このホテルで私はじめて本格的な担々麺を知った。
北京一の代表的なホテルでも四川がメインで、これは、先にも述べた通り北京料理のあらたまった宴会などがあまり无いというのも一因だったのかもしれない。
现在の「北京饭店」も少しずつ変化してきており、たとえば「谭家菜(タンジャアツァイ)」というダイニングもある。これは旧时代に在京の高官たちが、私邸に客をよんだりよばれたりするのが宴会の形だった顷、とび抜けて広东出身の谭家の美味な料理が评判だった。辛亥(しんがい)革命后、「谭家菜」、つまり谭家の料理という名の店をオープンし、のち「北京饭店」の中に入ったのである。要するにもとは広东料理であって、それが长年の北京の暮しの中で淘汰された形になっていると见ることができる。いまは北京の中でも高级なレストランとして、フカヒレの姿煮などが有名だ。

キッコーマン企画制作?旧岩波映画製作所製作
「中国の食文化」撮影时の北京饭店厨房

老北京の小吃

その后中国にもアメリカ系のファストフードが次第に进出してくる。もともと外食好きで夫妇共働き、出勤途上、屋台で腹ごしらえしていく习惯もある北京っ子だから、「麦当労(マクドナルド)」や「肯徳基(ケンタッキー)」の看板がふえ、やや高额であったとしても、意外に抵抗感が少なく普及してくる时势となっていった。
北京の町から北京らしい味が消えていき、香港のような広东系に加えて欧米の食べものまでがふえてくる。こうした庶民の生活に密着した北京の味が忘れられていきそうな情势に、危机感を覚えたのだろう、北京料理を復活、巻き返しをはかる运动が1990年の末ごろに起こった。かつて前述した映画を撮影した当时、第一线にいた名料理人たちが定年退职し、现役引退をしたうえでの结果である。私は现在でも北京で料理讲习会を主宰しているが、この会でも「北京料理」の指导を受けたこともあった。
北京に长く住む北京っ子を「老北京」とよぶが、この老北京が好んできた「小吃(シャオチ)」(軽食)、たとえば「豆腐脳(トウフナオ)」(成形していない柔らかな豆腐を温かいうちにすくい取って、たれをかけたもの)、「豆浆(トウジャン)」(豆乳)と「油条(イウチィアオ)」(ねじった形の细长い扬げパン)や「包子(パオズ)」(まんじゅう)、「芝麻焼饼(ヂマンシャオビン)」(ごまつきの固いパン)、なかなかお目にかかることが困难になった「炒麻豆腐(チャオマドウフ」」(緑豆のしぼりかすを豚の脂で炒めあげた灰色の食べものだが、植物性のフォアグラともいうべき味わいがある)や「豆汁児(トウヂル)」(緑豆汁の上澄みでやや発酵した酸味と匂いがある饮みもの)等々は、穀物や豆类を原料とした素朴なしかも独特のものである。これらの料理はレトロな内装の店で供されたり、いつのまにかこれらのメニューのおかげで店が繁昌したり、メニューから消えてなくなったりをくり返している。戦前は当然のようにどこでも见られた老北京の味なのだが&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。
现在、「一碗居(イーワンヂュ)」(北京に何ヶ所か出店)という店に代表されるが、こうした小吃や炸醤麺(ヂヤジャンミエン)、炒めもの、スープなど、北京の味を出す繁昌店がある。また2006年に「老北京伝统小吃协会」という组织が、それぞれの小吃を出す小さな店と、客が食べられるよう椅子とテーブルを置いたホールを设けた施设を西城区につくっている。「九门小吃(ジュウメンシャオチ)」といい、参考にされるとよい。ただし、一般の子供や若年层の客は、外国のハンバーガーやチキンに心をひかれているように见える。

北京の味が楽しめる繁盛店の一つ「一碗居」

オリンピックの顷から

私たちが外国人の観光客として中国を访れ、すでに自分达は失っているものへの郷愁のためか、昔の中国らしさ、北京らしさを求めたとしても、时代は确実に动いている。
急速な中国の近代化、国际化の流れは2008年の北京オリンピックの準备が始まった顷から顕着となり、思いきり斩新なスタイルの料理店も出てくるようになった。
私たち日本人の思い込みで、中国はこう、中国らしさはこれ、と决めつけるのは间违いだと思う。外国人客も多く、中国人自身がどんどん海外に出かけている时代だから、日本の规準をとび超えてしまって当然なのだ。
2006年と2008年の2回、北京のレストラン业界のジャーナリスト辺彊氏に、「北京饭店」の一室に席を设けお话を聴いたが、氏はこうした流れを「忧う」ものではなく、肯定的に受けとめておられるように思えた。
大きめな円卓に多数の客が着き、大皿の料理に顺に分ける、という形式ではそれだけの客を揃えなければ成立しない。自分の箸で取り他の客にそれをすすめる、いわゆる「直箸」を使うのは自分の唾液をまき散らすことになり、卫生的ではないといった意见だった。
「公筷(コンクヮイ)」とは公の箸、つまり筷子というのは箸のことで公とつくから取り分け用の箸を意味するが、「公筷」が使われるようになって喜ばしいということだ。
日本の中国料理店では、取り分け用の箸がつくのは当然で、また次第に盛り皿から各客にひと皿ずつ盛りつけたり、或いは大皿盛りを披露してから给仕が取り分けてくれるのが一般的だが、中国でも次第にそうした流れになってきている。皿のデザインも白の无地皿に移行して、料理の色がすっきり映えるように盛りつける倾向にある。
これまで多人数が一堂に会するような会合には向いていても、恋人同士や少人数でしんみり话をする食事に中国料理は向かなかったといえるのだが、一人盛りの皿ならば自由に楽しむことができる。あるていど中国料理の食卓様式が変っていくのも至し方のない必然、と私は考えている。

老舗の茶叶店「张一元」の店先。古くから人で賑わっていた前门大街、大栅栏の辺りも同じような外観でリニューアル
料理业界のジャーナリスト、评论家の辺彊氏を囲んで、北京の料理店の现状についての话をきく(左侧から2番めに着席している辺氏)

新スタイルの店、中国の现実

ただ、この中国での「新しがり」ぶりは、日本の常识をはるかに超えたものでもある。
叁里屯という外国の大使馆も多く外国人客の多い地域などでは、照明や手洗い所の薄紫色、各テーブルに运ばれていく前卫华道のオブジェのような皿などに呆気にとられた店もあったが、これはすでに6年位以前の経験である。4年ほど前になるが、辺氏が推荐されたセレブ客の多い北京の中心地にあるレストランは、入り口から廊下まで真っ暗で手さぐりで行き、いきなりベルベットのカーテンを押し开けると明るい客室だった。オペラの舞台のようなしつらえだったが、内装はイタリア人のデザイナーと闻いたが、料理の盛りつけも思いきって斩新で、皿の上に物干し竿のようなものが置かれ、薄切りの肉がそれに并んでかかっているという立体的なしろものだった。印象は强烈だったが、味の方はよく覚えていない。
つい先日も叁里屯の方角にある欧米人客の多い店では、明るく吹き抜けになったガラスの壁から外景がよく见え、カトラリー(フォークやナイフのような食事用具类セット)も皿も洋风で味もすっきりしていた。前述した二店よりも落ちついていたが、もしかすると当方がいちいち洋风か中国风かと悩まなくなってきたからなのかもしれない。
饮み物、特にアルコール饮料についても同様に时代の変化を感じざるを得ない。アルコール度が高すぎて白酒(パイチュウ)と総称される蒸留酒を注文する日本人客は少数派で、青岛ビールなどのビール类やせっかく中国に来ているのだからと食事中の饮み物は绍兴酒を求む客が多いが、近年は各种ワインを置いてある料理店が多い。
以前はたしかに色も味も浓い「赤葡萄酒」という感じのものが中国产ワインのイメージだったが、今はすっきりしたなかなかのワインが赤白ともにあって、中国料理にワイン、という组みあわせは特に都会ではかなり多い。意识的に国际化をというのではなく、自然に料理と饮み物にも垣根がなくなってきている。
私たちが、これが中国风と决めつけるのはただの「思い込み」なのだろうか。ことの「良し悪し」ではなくて、食事の様式、卓上の食器、席の设えによって、おのずとマナーのあり方も変ってくるから、どれが良いというのではなくとも変化が出てくるのは当然だ。従来の中国料理の食卓マナーが、一堂に会した人々の人间的なつながりを重视した礼法であったものが、横ならびに坐り、给仕に进行を任せるだけでよいのならば、解放感もあり、もの足りなくもある。
経済的な面でも数年前までとは大きく変った。この急速な中国の近代化、国际化は北京オリンピックの前后から顕着となり、分野によって価格も急腾している。
以前は内心恐缩しながらも、札ビラで頬をたたくようで申しわけないと思いながら、料理を最高クラスで予约したりしたものだが、今や、お金持ちの中国人にはかなわない时代になっていて、日本の観光客の财布をアテになどしていないようにも见える。ただ、これは大きくいいたいのだが、中国の中でも都会と地方の格差は非常に大きくて、どの地域でも当てはまるとはいえない。
北京や上海のような国际的な大都市と地方の小都市とでは事情がまったく违うのも事実である。地方の小都市では食事や宿泊の费用も大都市にくらべればかなり低く、食卓形式やサービスも以前とあまり変りないように见えもする。テーブルに次々と一绪盛りの料理が运ばれてきて、取り分け用の各自の小皿と重なりあい、驯れない客は食べたり片づけたり、と苦労するあの形だ。
外国人がイメージする中国の食の风景は、戦前の大家族の食事からなるなつかしさにもあるのだが、すでに一人っ子政策が施行されてから时间がたち、北京や上海では一戸建ては急激に整理されてマンションなど集合住宅がほとんどである。亲は夫妇ともに働きに出、子供は一人というこじんまりした小家族のあり方は日本以上だから、家庭の食事(特に都会の场合)が変ってきたのも当然だろう。海外から来る人、海外へ行く人、さまざまな情报が行き交い食品の输入も大きく増加しているのだから、现実は変ってきているのである。日本人の物差しだけで测ったり、自分达だけが先进国の仲间入りをし、中国の近代化が遅れているかのような思いこみをしては间违いだと思う。
いずれにしても「北京の颜」である料理店は、伝统を夸る老舗(その中には宫廷料理や别の地方料理店だけでなく、たとえば北京ダックも古い伝统店より脂肪分が3割も少ないとヘルシーさをうたう新しい店やしゃぶしゃぶ锅もタレに工夫をして変化をつけた人気店などさまざまである)、地元客のニーズに対応するさまざまな中级店、そして思いきって新しいスタイルにしたセレブ対象の高级レストラン、古い时代の郷愁を残すために庶民の小吃を中心とした店、などコンセプトはそれぞれである。
焦点のあて方によって极端な差も出てくるのだが、いずれも北京の现実、ということができる。(写真提供:木村春子氏)

朝阳区、外国人の多い叁里屯のモダンな评判店「茉莉(モオリィ)」(ジャスミン)。アールデコ调のガラス壁や白いクロスや皿、洋风の食器や席のしつらえだが、中国料理の新しいスタイル例
中国料理の新しいスタイル例