研究機関誌「FOOD CULTURE No.15」世界の食文化雑学講座 第13話
「乾海苔(ほしのり)」に漉き込まれた养殖の歴史
日本食といえば白いご饭に乾海苔としょうゆ、それに梅干や味噌汁を连想するのが一般的だ。今回は、日本食には欠かせない「乾海苔」がたどった歴史と、今では谁もが口にできるまでに普及をみた海苔养殖技术の発展に、イギリス人海藻学者の発见と研究が革命的な成果をもたらしてくれた秘话をご绍介する。
海苔は中国から日本へ。そして朝廷への租税品目に
飞鸟奈良时代(6世纪中7世纪后半)に海苔は中国(唐の时代)から伝わった。大宝元年(西暦701)に日本初の法律书といわれる大宝律令が编纂され、租税品目に29种の海产物中、紫菜(奈良时代『紫菜』をムラサキノリと読んでいる)をはじめとする8种の海藻が正税の代わりに纳付できるとの记述がある。このことから、海苔は日本各地で既に生产されていたことが判明する。
江戸の名产物「浅草海苔」の诞生
江戸开府以前の天正(1573~92)の顷までは浅草周辺にも海苔が自生していたが、その后の江戸地拡张で浅草の海岸线も埋め立てられて、海苔の自生地は减少する。
その顷に海苔の养殖技术が考案され、江戸湾内の穏やかな海流を利用した葛西や品川、大森近辺で养殖による海苔が浅草へと运ばれ加工されていた。
当时の养殖技术といっても、海水に浮游する海苔の胞子が海岸の岩场に付着して夏を过ごし秋口には海苔芽に成长するものとの考えから、海中に网やひび(枝付きの竹や粗朶类)を建て込み、そこに海苔芽が自然に付着し成长するのを待ち手摘みするという、自生と养殖の中间的な方法だった。
その后、江戸の繁栄と人口の増加にともない海苔の需要は増し、海苔は「浅草海苔」の名で市中に出回ることになる。浅草には海苔问屋が轩を并べ浅草寺雷门の市は大いに賑わったといわれている。享保年间(1716~1736)には、浅草纸(使用済みの纸を再度漉き直してリサイクルした再生纸)の纸漉法を真似た、现在と同様な四角い板状の海苔が开発される。これを机に、海苔巻きが江戸人に流行り屋台でも売られるようになった。まさにファーストフード感覚で食べられていたのだろう。
やがて「浅草海苔」は江戸を代表する味覚となり京都宫中にも献上され、天保の顷(1830~1844)には江戸の名产物として全国に知られるようになる。ちなみに、この乾海苔の大きさの规格は昭和40年代に、縦21肠尘X横19肠尘の寸法で全国的に统一された。
そして「乾海苔」は、日本食の定番にまで普及する
戦后まで海苔の生态は不明のまま江戸时代以来の半养殖が続けられてきたが、昭和24年にイギリスの海藻学者キャスリーン?メアリー?ドゥルー?ベーカー女史により、海苔の胞子は春先から秋口まで贝殻の中に潜り込み黒い糸のような状态(糸状体)で成长し、秋口に贝殻から飞び出して海中を浮游するという海苔の生活史が発见される。
この発见により海苔の果胞子を人工的に贝殻に潜らせて育てる「人工採苗」という方法が确立し、不确実な今迄の天然採苗から人工採苗の実用化へと発展。海苔养殖技术に革命的な进歩と発展をもたらす功绩となった。天然の种场がないところでも海苔养殖が行なえ、海苔の普及に结びつく量产体制が可能となった。
全国の海苔生产の5割を占める九州有明海。その海が一望できる住吉神社境内に女史の功绩を称える顕彰碑が建立されている。海苔生产関係者间では4月14日を『ドゥルー祭』と定め、平成13年に女史生诞百周年行事が行なわれた。
海外でも食べられている海苔
中国は1992年。そして韩国では1993年顷から本格生产が始まり输出を始めている。アメリカでは1980年以降にカナダ国境のメーン州沿岸で养殖を开始。南半球ではニュージーランドで1990年から本格的な养殖と生产が始まり、オーストラリアに输出を始めている。一方ヨーロッパでは、ドゥルー女史の故国イギリス南部のウェールズでハンバーグやグラタンに鱼肉と一绪に混ぜたり、ペースト状にした海苔をパンにのせて食べるラバーブレッドは有名である。
- 1『食と日本人の知恵』(小泉武夫着 岩波书店)
- 2海苔ジャーナルエキスプレス
- 3骋辞辞驳濒别滨苍迟别谤苍别迟(海苔の基础知识
- 4『海藻の食文化』(今田节子着 成山堂书店)
- 5『大江戸见闻録』(江戸文化歴史検定协会 小学馆)
- 6『海藻のはなし』(新崎盛敏?新崎辉子共着 东海大学出版会)
- 7『新编?海苔养殖読本』(殖田叁郎着 全国海苔贝类渔业协同组合连合会)
- 8熊本県住吉渔业协同组合




