糖心原创vlog

研究機関誌「FOOD CULTURE No.13」世界の寿司のれん繁盛記

松本 紘宇(文?写真)

~魅力満載な海外寿司事情~ アジア?オセアニア編

前号のあらすじ

前号では、北米?中米?南米地域のすし店を巡り、「すしのグローバル化」事情を报告した。まずどこへ行っても日本人のすし职人がいたり、回転ずしやすしロボットが导入されていたりと、日本のすし文化が丸ごと输出されている観がある。
だが、すしは海外で确実に进化をはじめている。アメリカにはベジタリアンや健康志向派が多いことから、しゃりを玄米に替え小麦粉からつくるセイタンとよばれる肉の代替品を芯にしたのり巻きや、野菜を豊富に使ったすしが握られている。
异色のすしもあった。甘いもの好きなアメリカ人向けに、しゃりの代わりに刻んだココナッツ、芯は固形チョコレート、さらに液体のチョコレートを醤油に见立て、それに薄切りマンゴーをガリとして添えたデザートずしである。
またワサビの代わりにチリペーストや、醤油の代わりに南米产唐辛子から作るサルサ(调味料)を使うなど、すしの文化はそれぞれの民族食に同化し変容をはじめているのが分かる。一方、メキシコでは屋台(スシ?モービル)形式のすし店が繁盛していたが、握りずしは江戸の町の屋台から始まったとされるので、そうした遥か昔の伝统が海外に伝わっているのが兴味深く思えた。

韩国の「シッケ」もなれずしの兄弟

韩国の都市で目にする「日式」という看板をかかげた、つまり日本料理店にはすしカウンターを持つ店も多く、うまいにぎりずしが楽しめる。
韩国人はもともと生鱼の好きな民族で、例えばアナゴなどを煮ないで生で食べるくらいだから、にぎりずしも好んで食べられているが、韩国にはもっとポピュラーなすしがある。「キム?チョ?バップ」と呼ばれる巻きずしだ。キムは「海苔」、チョは「酢」、バップは「饭」という意味で、チョを省いてただ「キム?バップ」と呼ばれることもある。后者は、その名の通り酢めしではなく、ただの白饭で作ったものもある。両者ともに中身(芯)は同じなので、食べてみないと外からではわからない。
その中身というのは生鱼ではなくて、日本の太巻のように玉子焼やほうれん草、にんじんなどで、ときには焼き肉が入ったりもするが、沢庵だけは絶対に欠かせない。「大根を渍けた沢庵」は日本独自の昔からの嗜好品だが、なぜか韩国人に大层好まれて、韩国料理店の料理にもナムルなどと并んで必ずついてくるほどだ。
ところで、にぎりずしは江戸时代に日本で発明されたわけだが、その前身は押しずしで、さらにその前はというと、琵琶湖の「鮒ずし」で知られるなれずしに辿り着く。このなれずしが韩国にも古くからあった。「シッケ」と呼ばれるものだ。ただし韩国では米ではなく粟を使う。それに唐辛子やにんにくを入れる点も日本とは违っている。なお、シッケには「甘酒」という意味もある。今の若い韩国人にはこちらの方が驯染んでいるようで、なれずしのことは知らないという。
台湾にも昔から日本の寿司文化が渡っていた。こちらでは看板に「寿司?生鱼饭」と书かれている。まさにその通りだが、日本でも北海道で似たような言叶が使われていたのを思い出した。札幌の私の叔母は、「さあ今日はなまずしでも食べに行こうかね」といって、にぎりずしとはいわなかったものだ。もっとも现代では使われなくなっているようだ。台湾北端に基隆(キールン)という港町がある。ここの屋台街ににぎりずしの屋台があった。屋台といってもよそから持ってきて组み立てたり、あるいは引いてくるのではなく、后ろにある店舗の出店のような形になっている。その后ろの店というのは鱼屋で、たくさんの鱼が并んでいるのだが、にぎりずしはマグロだけである。基隆はマグロ渔船の基地でもあり、このにぎりずしは恐らく日本のマグロ船の乗务员が教えたのであろう。
なお、台湾にもなれずしがある。高地山岳民族のタイヤル族が造っているもので、「トワメ(トゥアメン)」と呼ばれている。たいていは川鱼で造るが、ときには生の豚肉を使うこともあるという。豚の生肉はちょっとこわいが、2週间ほど渍けておくので、寄生虫などは死んでしまうから心配はないようだ。

屋台で売れている「キム?チョッ?パップ」
なれずし「シッケ」の材料。鱼はヒラメ
「シッケ」を造ってくれたのはソウル観光局の金顺得さん
台湾のすし屋
台湾?タイヤル族のなれずし「トワメ」

美食都市?香港のすし変迁

香港最初の日本料理店は东京の老舗料亭「金田中」の支店で、1964年のオープンだ。これを皮切りに3、4年后には5店に増えた。これらの店ではすしも出していたが、すしネタは日本から空输し、すし职人も日本から高い给料を払って连れて来ていたため、すしの値段は非常に高価だった。驻在员が接待に使ったり、あるいは日本や欧米からの観光客が主な顾客で、现地の人は富裕阶级に限られていた。何しろすし1かんの値段で粥や麺が1食分食べられたのだから、一般庶民にとってすしは高岭の花だった。
残念ながら金田中は今はない。98年に38年间にわたって営业してきたのれんを降ろしてしまったのだ。现在こうした昔ながらの伝统を引き継いでいるのは、シャングリラ?ホテルの中にある「なだ万」だろう。ここではにぎりの盛合せが320香港ドル(1香港ドル=14円として约4500円)、特上となると420ドル(约6000円弱)になる。日本からの板前が日本の鱼をにぎるのだから、当然こうした値段になる。
それでは、一般の香港の人がすしを食べ出したのはいつ顷かというと、1990年代以降のことになる。その理由は第一に、安いすしダネが大量に供给されるようになったことがあげられる。ノルウェーからサーモンが、カナダ西海岸からミル贝が安く入ってくるようになり、さらに福建省でハマチやタイをはじめとする海产鱼の养殖业が盛んになった。第二には、すしロボットの出现である。これで高给のすし职人を雇わないで済むようになった。さらに回転コンベアーの导入によって、一度に大量の客をさばいて店舗効率をよくし、接客係の人件费を节减した。
なかでも、特に回転ずしの人気が高く、2000年の时点で「元禄寿司」が26店、「元気寿司」が7店、その他现地人が独自に始めた店もあちこちに生まれている。このうち元禄寿司の値段は、一皿2かんで15ドル(210円)である。先程のなだ万と比べるといかに安いかがわかる。
回転ずしと并んでテイクアウトのすしも普及している。「香港そごう」の地下2阶にある生鲜食品売场に鱼屋の「丸福」があり、テイクアウトのすし売り场を併设している。93年からこの店の店长をやっている吉村修さんに话を闻いた。
「私が店长になった时には、大丸デパートの鱼売场が売上の一番やったとです。それでこれを追い抜かんばいけんと、毎日のように通って勉强しました。3、4年かかったとですかね、今はウチ以上に鱼を売る店はありまっせん」
マグロ、サンマ、イワシ、ハマチ、アワビ、アサリ、シジミなどは、福冈の水产物卸会社を通して航空便で週に3回运んでくる。中国产のタイ、カンパチ、ウニ、赤贝などは香港のサプライヤーから买い付けているという。
すしの値段は「什锦(いろいろ、多种)寿司」で、マグロ、ハマチ、サーモンなどのにぎりが7かんに、いなりずし1个とかっぱ巻き1本が入って54ドル(750円)と、日本の値段と変わらない。こうしたすしパックが1日に平均400个は出るそうで、売れ行きを见ながら日に最低でも3回は追加しているそうだ。

基隆のすしの屋台(魚屋の前) にぎりはマグロのみ
「元禄寿司」の机械化された店内の様子
「丸福」のすし売り场。吉村さんと香港人の店员
「丸福」のテイクアウトのすしも大人気

広州は鱼もすしも安い

香港から深圳へ出て、深圳から広州までは列车なら特快で2时间弱、车なら高速を利用すれば1时间で着く。従って、広州にはいちはやく香港の影响が及び、市场経済化が急速に进んだ。
2000年7月、たまたま「ジャスコ」(中国名吉之岛)のオープンに出くわした。広州ではすでに96年に1号店を开いていたので、これが2号店になる。地上10阶、地下4阶の「中华広场」という巨大な商业ビルが完成し、ジャスコはその2フロアを占めている。
食品売场の鱼コーナーをのぞくと、サーモンは香港?丸福の半値、マグロは3分の1という値段がついている。まあ香港人と広州人では収入に格差があるからそんなに高い値付けはできないだろうが、それにしても安い。
ここで思い出したのは中国の西の果て、ウルムチやトルファンに行った时のことだ。ホテルのレストランの水槽に海水鱼が泳いでいるのには惊いた。海からは2000キロも离れた砂漠地帯なのにだ。広州から航空便で取り寄せているという。だから、その料理の値段は1皿が现地の中国人の月収に匹敌するほどになってしまうが、タリム盆地の石油开発で大储けした成金の中国人が食べるのだそうだ。
ジャスコのすしコーナーは、パック詰めではなく、1かんずつラップに包まれたものを自由に选ぶ方式だ。マグロ、サーモンのにぎり1かんが3元(1元=13円として39円)、いなりずしは2.5元などと、鱼同様にこちらも実に安い。もっとも「开店特别セール」という张り纸があったから、いずれ値上げするのかも知れない。
広州にも回転ずしがある。「大禾寿司」は地元资本のチェーンで、1号店は96年に开店、まもなく6号店が诞生するという。すしロボットをカウンターの中に据え、中国人の板前がマスクや手袋をつけ、客席に何台もビデオ装置を置いて音楽番组を流すなど、すっかり香港のコピーである。しかし、すしの値段はこちらの方が安い。例えば、香港では2かんで210円だったマグロやサーモンのにぎりが、ここでは130円だ。もともと鱼の原価が安いからこういう値付けになる。

「大禾寿司」は香港とそっくり

中国2大都市のすし模様

上海に最初の日本料理店がオープンしたのは1980年代の后半である。しかし刺身やすしを食べる中国人はいなかった。その后95年になって、ヤオハンが上海第一百货店と合弁で浦东地区に华々しく开店した。9阶に世界各国の味を集めたレストラン街を作ったが、この中に「日本小吃」という日本料理を出す店もあり、すしも出していた。この时、「ヤオハンですしを初めて食べた」という上海人の话が新闻に载って话题になったものだ。
それが今や、上海の日本料理店は200轩を数えるまでになっている。ただしこの数はいささか过剰気味のようだ。そこで薄利多売で客を集めようと、「随便喝?随便吃(饮み放题?食べ放题)」が大流行した。なかには160元(2000円)という店もあって、これで大丈夫なのかと心配になるほどだ。それもバイキング形式のセルフサービスではなく、注文した品をウェイトレスがちゃんと席に运んでくるのだ。メニューには、もちろんすしもある。
すしはキッチンで作られ、客は好みのものを何个注文してもよい。例えば一人で「ウニを10かん」などと注文しても、いやな颜ひとつしないのだから嬉しくなる。中国は人件费が安いとはいえ、ウェイトレスの给料だけでもかなりの额になるだろうに。
回転ずしは、元禄寿司が深圳に中国本部を作り、深圳に9店展开した后、上海に进出してきた。2000年の时点では3店になっている。
「SUMO SUSHI」は、地元資本の回転ずしチェーンで上海に6店を擁している。ここはランチタイムと午後9時以降は食べ放題(飲み物は別料金)である。58元(750円)という値段だが、例えばウニは1皿(2かん)で15元なので、4皿食べれば元がとれる。もっとも値段の高い皿はなかなか流さず、5元のツナサラダ、カニサラダの軍艦などが絶えず回っている。
北京の日本料理店は、90年代の初めに10轩ほどだったが、96年には80轩、98年になると150轩を超え、今や250店にもなっているそうだ。上海もそうだが、こうした店の大半はかつて日本に留学したことのある中国人が経営している。何しろ同じギョーザでも日本料理と名がつけば、中国料理店の五倍の値付けができるので日本料理店を开けば储かると、日本の和食店でアルバイトで働いた経験を生かして店を开くのである。
多分、そんな店のひとつだろうが、北京駅前の日本料理店の看板には笑ってしまった。「毛毛太郎」とあるのだ。「桃太郎」は鬼ヶ岛ならぬ中国に来ると、こういう名前になる。北京で最初の回転ずしは、98年11月に开店した「福助」。日本の冲浦建设(本社広岛)と、北京ですでに「叁四郎」という日本料理店を経営していた中国资本の会社との合弁である。
すしはロボットではなく、中国人の板前がにぎっている。65席のカウンターの中につけ台が4台もあって、忙しい时には4人でにぎる。1皿(2かん)が5元の玉子焼やいなりずしから、22元の高级ダネのアワビやウニなど、5种类の皿が回る。平均客単価は50から60元だそうだ。他の日本料理店で一人前のすしの盛合せが、だいたい150元から230元くらいなので、やはり回転ずしは安い。
すしダネはスズキやヒラメは大连、カンパチ、タイは福建、ウニは韩国、マグロ、アワビその他の鱼は日本から仕入れている卸业者が毎日配达してくれるそうだ。この业者は中国料理店にも卸している。中国料理の前菜に刺身を食べる中国人が増えているからだという。
「生鱼は料理を知らない野蛮人が食べるものだ」といっていたアメリカ人が、すしを喜んで食べ、「火を通したものでなければ絶対に食べない」と言う中国人が、すしを食べる时代になった。

上海「SUMO SUSHI」のランチは食べ放題
北京最初の回転ずし「福助」

タイはすしダネの供给基地

1980年代后半からタイ経済が高度成长に向かい、タイ人の懐が豊かになったために、それまでは値段が高くて手が出なかった日本食も手軽に食べられるようになった。现在、バンコクの日本料理店は千轩を越えているという。市内に30店舗を展开するファミリーレストラン「厂&补尘辫;笔」でも、すしを含んだ日本料理をメニューに载せている。なかでも、最近大人気なのが市内に4店をもつ「翱滨厂贬滨(美味しい)」。経営者は中国人だそうだが、中国料理と日本料理を一绪に出している。すし、刺身コーナーも充実し、一人449バーツ(1バーツ=3円で1350円)で食べ放题なので、いつも若者で超満员だ。
回転ずしは、シンガポールが発祥の「栄(さかえ)」、「元気寿司」、地元资本の「小船」などがある。値段は、例えば「栄」では1皿2かんのマグロやサーモンは38バーツ(114円)と安いが、日本から空输された鱼を使っている店では1人前の盛合せが800バーツ(2400円)とかなりな値段である。后者はバンコク一の鱼のサプライヤー「神戸屋」がデリバリーしているそうだ。
日本からの鱼には、この他に面白いルートがある。それは「かつぎ屋」と呼ばれる日本人が20人ほどいて、彼らは筑地で鱼を仕入れるとこれを飞行机の手荷物として预け、鱼と一绪にバンコクに飞んでくる。そして驯染みの日本料理店に売り歩くのだそうだ。
ところでこのように鱼が航空便で日本から运ばれてくる一方で、実は、タイは鲜鱼やすしダネの供给基地にもなっている。「フジスーパー」は富士シティオ(本社?横浜)が85年にバンコクに出店したスーパーマーケットだが、鲜鱼类の品揃えに力を入れている。この店に、新鲜な鱼に飢えているラオス、カンボジア、ミャンマー、ネパール、インド、さらには中近东などから日本人驻在员が买い出しにやってくるという。近顷は、伊势丹デパートも鲜鱼コーナーを充実させたため、こちらに流れる日本人も多くなったようだ。
もっと大きなビジネスもある。冷冻すしダネの製造输出だ。タイは世界最大の养殖エビ生产国だし、日本では「イズミダイ」とも呼ばれているティラピアの养殖も盛んだ。それに近海ではイカが豊富に获れる。さらにはフィリッピン、台湾、インドネシアなどからマグロを、グリーンランドから甘エビなどを输入し、これらをすし一かんずつの大きさに切り揃えて冷冻し、输出している。日本の回転ずしにもかなり使われている。

「OISHI SUSHI」の巨大看板には圧倒される。「食べ放題」の文字も
「フジ?スーパー」には客が近隣诸国からも

にぎりずしはとても、庶民はなれずし

ミャンマーは1960年代から30年の长きに亘って锁国状态にあった。その中でまさか日本料理店はあるまいと思ったが、ヤンゴンには10轩を超える日本料理店があった。
しかし、このうちすしを食べられるのは、日航ホテルの「弁庆」、エクアトリアホテルの「勘八」、トレイダーズホテルの「坚琴」、日本人が経営する「ふるさと」など5店だけだ。すしの値段は高く、ミャンマー料理が1ドル(米ドル)で食べ放题なのに対して、「弁庆」では盛合せ1人前が28ドルもする。
それにも理由があり、「弁庆」のミャンマー唯一の日本人シェフである卫藤生禅(えとうしょうぜん)さんに话を闻くと、鱼をバンコクから运んでくるのでこの値段になってしまうということだ。卫藤さん自身が月に2、3回、バンコクに飞んで、例の神戸屋に行って一度に100キロほどの鱼を持ち帰るそうだ。その鱼を10日から半月保たせなければならないので、それも大変な苦労だという。
ミャンマー人はこんなに高いものはとても食べられない。しかしながら、すしは食べている。それは、にぎりずしではなく、「ンガ?チン」と呼ばれているなれずしだ。「ンガ」は鱼、「チン」はすっぱいで、すなわち「すっぱい鱼」のなれずしである。鲤やエビなどもご饭に混ぜて乳酸醗酵させたものを、大きな叶で包み、ヒモでしばる。このちまきのような形をしたものがザルに入れられて店先で売られている。鲤なら4个で0.2ドル、エビは3个で0.4ドルと、これなら毎日でも食べられる。

唯一の日本人シェフ「弁庆」の卫藤さん
なれずし「ンガ?チン」を造る。ちまきの形をしている

鲜鱼?すしのネットワークは凄い

マレーシアの首都クアラルンプールの「そごう」デパートには、筑地の「中岛水产」が入っていた。鱼をおろしている隣にはすしロボットが据えられ、ラップずしが作られている。鱼と一绪にすしも売っているのだ。
エクアトリアホテルの「勘八」では、中国系マレーシア人のチーフが握っている。日本で长く仕事をしていたので、日本语がかなり话せ、颜立ちからも最初は日本人だと思った。「勘八」はミャンマーにも进出しているが、マレーシアにはこの他ペナン、バンギ、マラッカの计4店を有する。
回転ずしチェーンの「スシキング」の経営者は日本人で、看板には「すし金」の文字も入っている。96年にクアラルンプールに一号店を开くと、以降、矢継ぎ早やの展开で市内だけで11店、さらにマレー半岛を横断する形で各都市に8店舗の计19店を展开する。
さて、お隣のシンガポールだが、ここは何と言っても「元気寿司」である。中国系シンガポール人の大実业家、ディビッド?バン氏は日本の「元気寿司」の隆盛に目をつけると、早速フランチャイズ契约を结んだ。
そして94年にシンガポールに1号店をオープン、続いて东南アジア各地に出店。01年现在、シンガポールに6店、マレーシアに4店、香港に7店、バンコクに2店、さらには娘婿にニューヨーク店を2店経営させているので、计21店舗がバン氏の所有になっている。

异文化に挑戦するイスラム圏の女性店员(マレーシア)
マレーシア最大の回転ずしチェーン「スシキング(すし金)」
クアラルンプール「勘八」の刘(りょう)さん。日本人と见间违う
シンガポールの「元気寿司」。ここから东南アジア各国に

オージーの食文化を変えた日本人

メルボルンの「寿し阵」の経営者である进藤敏博氏は、和久田哲也氏と并んで「オーストラリアの食文化を変えた男」として知られている。和久田さんは生鱼を积极的にとり入れた、フランス料理と日本料理のフュージョンの店「テツヤズ」を経営し、オーストラリアばかりか世界各地からやってくる食通をうならせている。一方、进藤さんは歩きながら食べられるすしを开発して有名になった。「ハンバーガーやピザと并んで、新たにすしの立ち食いが加わった」と、メディアが盛んに书き立てた。
このすしというのは巻きずしで、中身は普通の细巻きと変わらないのだが、形がちょっと违う。细巻きより短かくてやや太い。これを1本ないし2本、小さな纸袋に入れてくれる。コーンに入ったソフトアイスを思い浮かべるとよい。コーンが纸袋でアイスがすしになるわけだが、左手に纸袋のすしを持ち、右手で一绪についてくるテイクアウト用の小さな容器に入ったしょうゆを时々すしの上からかけつつ、歩きながら食べる。进藤さんは95年にチャイナタウンの近くのフードコート内に、间口2メートルほどの小さな店を开いた。开店早々大评判となって、こんなに小さい店なのに1日に100キロの米を、15回にも分けて炊き続けたというから凄い。しかし、进藤さんはこの店だけを守ってチェーン展开をはからなかった。すると、主に中国人がこれを真似てあちこちに同じような店を作った。シドニーにもある。そのせいで売り上げが以前の6割に落ちてしまった、と进藤さんは嘆いている。
ところで、実は25年前に、进藤さんはニューヨークで私が経営していた店の一つで、10ヵ月间だがキッチン?ヘルパーとして働いたことがあるというので惊いた。私の方は覚えていないので申し訳なかったが、进藤さんは今回会った途端にすぐわかったそうだ。それにしても、四半世纪たってニューヨークとは真反対のメルボルンで出会うとは、これもすしがとりもつ縁である。

シドニーの超有名店「テツヤズ」の和久田さん
シンガポール「栄」すしも大盛况
巻ずしはタテにして纸袋にいれてくれる
「寿し阵」の进藤さんと日本人従业员

世界の寿司を知るコラム

すしには欠かせない醤油、それにワサビ、ガリ、また箸やゲタ(すしをのせて出す木製の下駄に似た台)なども気になる。どこの国でも一様にいえることは、高级店では必ず日本の醤油を使っていて、特にキッコーマンが多い。対して薄利多売の大众店では、中国产や东南アジア产の熟成过程が十分に终わっていないと思われる、すなわち安い醤油を使っている。面白いのは、日本人経営の店では醤油は洒落た醤油差しに入れて卓上に置かれているが、例えば中国人経営のすし店では赤いキャップの卓上びんがそのまま置かれている。「ウチでは高级の醤油を使っています」という証拠なのである。
それから箸は、高级店では店名の入った特製の袋に入っているが、大众店では既製の袋に入っている。木製のゲタはだんだん使われなくなっている。长く使っていると黒ずんでくる。日本なら削り直して出せるが、外国ではそうもいかないので、今ではプラスチック製がほとんどのようである。

(文中の写真のすべては笔者撮影)