研究機関誌「FOOD CULTURE No.11」「下り醤油」の実像に迫る ―江戸しょうゆ復元作業の顛末記-
「下り醤油」の実像に迫る ―江戸しょうゆ復元作業の顛末記-
近年、江戸期における醤油醸造业の研究がすすみ、その実态が明らかになってきている。しかしその多くは経営史的侧面からの研究で、製造技术または醤油の品质的な面からの研究は、资料が少ないなどの理由から、まだ多くの疑问点が残されている。江戸市场の「下り醤油」もその一つである。このほど、キッコーマン国际食文化研究センターでは、残された文献资料を参考にして、この「下り醤油」の実像に迫ってみた。
「下り醤油」
現在わか国で造られるしょうゆのうちの約八割が「濃口しょうゆ」で、最も一般的なしょうゆである。塩味のほかに深い旨味、まろやかな甘味、味をひきしめる苦味や酸味を持っている。この「濃口しょうゆ」は、文化文政期(1804~1830年)頃、それまでの上方からの「下りしょうゆ」にとって代った関東産の「地廻りしょうゆ」 にその源流があるといわれている。
江戸市場におけるしょうゆの発達の流れは、江戸開府以来上方から下ってきたいわゆる「下りしょうゆ」⇒「濃口タイプのしょうゆ(関東地廻りしょうゆ)」⇒「濃口しょうゆ」という流れでとらえられる。そしてさらに「下りしょうゆ」は、「溜(たま)りタイプのしょうゆ」と「澄みしょうゆ」に分けることができる。時間の流れと合わせると 「図1」のように整理できるだろう。
17世纪当初、まだしょうゆ製造にかかわる装置や道具は、未発达であった。とくにしょうゆ诸味を搾る装置は未発达で、诸味液汁、つまりしょうゆの中に诸味カスなどが混じっていた。そのためしょうゆは浊っていた。それが清酒の醪(もろみ)を布の袋に入れて搾る技术と装置がしょうゆにも応用されるようになって、澄んだしょうゆ=澄みしょうゆが造れるようになる。これが记録によれば、17世纪中顷から后半にかけて上方地方から起り、これ以降しだいに全国に拡がってゆく。
18世纪に入っても江戸市场では、上方からの「澄んだしょうゆ」が一级品の扱いをうけ、関东の地廻りものは二级品であった。したがって、江戸市民は幕府成立以降、约2世纪にわたって、主に上方から送られてくるしょうゆを赏味していたわけである。
さて、この上方产の「澄んだタイプの下りしょうゆ」は、どんなしょうゆであったのだろうか。
残念なことに、この当时の製造に関する记録が殆んど残されていないため、具体的にみることができない。しかし、现在残されている数少ない文献などの资料を参考にしながら、さまざまな「下りしょうゆ像」が推论で述べられてきた。例えば、「溜りしょうゆ」のようなものであったとか、あるいは「うすくちしょうゆ」のようなものであったなどの説である。残されている资料や文献から、当初の「下りしょうゆ」は溜りタイブのしょうゆであったようだが、澄んだタイプのしょうゆになってからは、はっきりと判っていない。「うすくち」説にしても、「淡口」なのか「薄口」(しょうゆ业界ではこの字をあてる「うすくち」というしょうゆは无いが、强いていえば「味がうすい」こと)を指しているのか、この语を使っている当人たちが曖昧に使っているのでよく分らない。少なくとも诸资料から判断して、现在の「淡口しょうゆ」ではないと考えられる。しかし味が薄いタイプのしょうゆは上方で生产されていた记録があり、こうしたタイプのしょうゆが下ってきたということは考えられる。
いずれにしても、「溜りしょうゆタイプ」以降の「澄んだ下りしょうゆ」がどんなしょうゆであったのかは、想像のまま今日まできていた。しかし、わが国のしょうゆ発达史の中で「下りしょうゆ」は、次に続く「関东地廻りしょうゆ」から现代の「浓口しょうゆ」に至るまでの流れの中にあり、重要な位置を占めていると考えられる。それだけに「下りしょうゆ」がどんなものであったのかを明らかにすることは、大切な意味を持っているといえる。
そこで当センターでは、2003年7月から约1年半をかけて特别チームによって「下りしょうゆ」の真の像に迫ってみた。まず特别チームでは「下りしょうゆ」全盛期に书かれた文献を通して、「下りしょうゆ」の姿に迫ることができないか様々な可能性を検讨してみた。そして结果的には1733年(享保11年)に刊行された「万金产业袋」に书かれたしょうゆの製造方法をもとに、実际にしょうゆを造り、そこから「下りしょうゆ」の姿に少しでも迫ることができるのではないか、と整理したのである。その主な理由は、
- 1.少なくとも「下りしょうゆ」全盛期(この时期を18世纪の初めから中顷と推定した)に书かれた文献の中の、しょうゆ製造方法をベースとする。そして、その文献が出版されるなどの世间的な広がりを持っていれば、书いてある製法が当时の平均的な製法と见なしても无理はないと考えられる。また、とくにこの时期であれば、上方地方がしょうゆ造りの先进地域であり、ここでの造り方が文献に採用される公算が大きいと考えられる。
- 2.製造方法ができるだけ详细に书かれていることが望ましい。
- 3.文意からだけでしょうゆの姿を论ずるのは避ける。なぜならしょうゆの「色?味?香り」を実际に体感してはじめてしょうゆを评することができる。そのため、実际にしょうゆを造ってみて评価することが重要である。
こうした前提で先に述べた「万金产业袋」の「丁六の乾」(以下「文献」)の记述に沿って、実际にしょうゆを造ってみることにした。特别チームではこのしょうゆを「江戸しょうゆ」と呼称したので、以下、本稿でもこのように呼ぶことにする。
「江戸しょうゆ」復元作业
「江戸しょうゆ」復元に当っては、当然のことであるが可能な范囲で记述に忠実に作业を行なった。それでもあちらこちらに曖昧な记述や省略した部分があったため、そうした箇所は当社の『野田醤油株式会社二十年史」に书かれている「第四编醸造=原料、工程」を参考として使用した。
今回の復元作业で特徴的であった事项は、次の通りであった。
- 1.熟成期间と製成(圧搾后のしょうゆの火入れと调整)工程を除き、现代のしょうゆ製造と原则的に同じであった。
- 2.酿造开始时期は文献どおり「夏の土用」中に开始した。
- 3.文献には「夏の土用に仕込み、秋の末になって出来上るをよしとする」とあったので、「秋の末」を「11月下旬」とし、醸造期间を约3か月半、100日前后を目标とした。
- 4.仕込みから60日间は连日、撹拌した。
- 5.幸いなことに当社の「御用醤油醸造所」には、手作业による醸造设备が保存されていたので、ここで製麹作业を行なうことができた。また、ここでの作业は当社の翱叠による応援が得られ、手作业による製造がスムーズに実施できた。
- 6.仕込工程は「炼瓦蔵」が使用できたため、自然放置の仕込环境が得られた。
- 7.道具、装置も可能な范囲で再现し使用した。
- 8.麹菌は「ソヤー」と「オリゼー」の二种を使用し、それぞれ同条件で醸造した。
- 9.最终的に、造られたしょうゆを使って同时代に出版された料理本の中から七品の料理を选び调理に使用してみた。(この结果については、今号「江戸料理事情」の项参照)
いずれの作业についても、(株)狈贬碍プロモーションにより映像(ハイビジョン痴罢搁、及びスチール写真)で记録され、データベース化された。このデータベースは、当センターで现在、公开されている。
「江戸しょうゆ」の検証と「下り醤油」
『万金产业袋」に记述されたしょうゆ製造方法をもとにして出来上った「江戸しょうゆ」の分析値は「表1」の通りである。また、私たちが现在口にしている一般的なしょうゆの分析値は「表2.3」である。この分析値から「江戸しょうゆ」について主にいえることは次のような事项である。
- 1.「ソヤー」「オリゼー」の二种ともしょうゆの品质の良し悪しを判断する材料の一つである「罢狈=トータル窒素=旨味の多少を表す」は、现在の「淡口しょうゆ」なみで旨いしょうゆとはいい难い。
- 2.逆に二种とも食塩浓度は高い。
- 3.熟成期间が短いため、色が淡く、アルコール発酵も不充分であった。
一方、官能検査の结果では、
- 1.二种とも熟成期间が短いためであろう、しょうゆの味に深みとコクがない。
- 2.アルコール分が少ないので、二种ともしょうゆの香りが弱い。
- 3.最初の口当りは旨く感じるが、すぐに塩味が立ち、「つけ?かけ用」としては向いているとはいい难い。
江戸市场において、「下りしょうゆ」から「関东地廻りしょうゆ」への転换时期が化政期(1804~1830年)であることはすでに述べた。この时期は现在、和食と呼ばれる蕎麦、握り寿司、天麩罗、鰻の蒲焼、佃煮などの料理が江戸で完成する时期でもある。そしてこれらの料理にしょうゆは欠かせない。ということは、この料理の味付けは「関东地廻りしょうゆ」の登场があって完成したと考えてもよいだろう。いや、それぞれの料理に合わせたしょうゆの登场によって完成したといった方がいいのだろう。
今回、当センターが復元を试みた「江戸しょうゆ」が、仮に「下りしょうゆ」と同じか近いもので、「関东地廻りしょうゆ」が出てこなかったと仮定するなら、和食が今のような形と味で完成したかどうか疑问といわざるを得ない。つまり、江戸の人たちが好んだ料理の「色?味?香り」があり、その料理に使用する塩味调味料としては「下りしょうゆ」では不満足だったのだろう。そして江戸人の要望に応えていったのが「関东地廻りしょうゆ」だったと考えられるのである。
それでは「下りしょうゆ」と「関东地廻りしょうゆ」の违いはどこからきたのだろうか。今回の「江戸しょうゆ」復元の结果から见て、どうも醸造期间の长さからきたと考えられる。酸造期间が长くなればしょうゆの色は浓くなるが、深みのある旨味とコク、食欲をそそる香りがより立ってくる。また、塩味が惯れ、塩辛さがとれて「つけ?かけ用」としても问题はなくなる。この醸造期间を长くするための製造方法の工夫と改善の结果が、市场での「下りしょうゆ」から「関东地廻りしょうゆ」の交代の要因と考えられる。
一方、上方の味付けの基本は「昆布のだし味を生かした塩中心の淡白な味付け」である。こうした料理ではしょうゆはごく脇役にしかすぎない。
结果的に「関东地廻りしょうゆ」タイプのしょうゆを要望する环境ではないので、従来どおりのタイプのしょうゆが造り続けられたのだろう。また、しょうゆを造る侧にとっては、上方市场向けのしょうゆの他に江戸市场向けのしょうゆを别に製造するということは、当时の製造能力や生产规模から考えて无理であったろう。结局、上方の醸造家たちは江戸人の要望に応えられなかった。
「下りしょうゆ」というのは、今回试みに醸造した「江戸しょうゆ」のようなタイプだったのではないだろうか。
| 食塩浓度 | 総窒素(罢狈) | アルコール | 色度 | PH | 糖分 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ソヤー | 20.5% | 1.25% | 2.6% | 36 | 5.0 | 1.9% |
| オリゼー | 20.2% | 1.26% | 2.3% | 35 | 4.9 | 2.0% |
| 食塩浓度 | 総窒素(罢狈) | アルコール | 色度 | PH | 糖分 |
|---|---|---|---|---|---|
| 16.0% | 1.72% | 3.1% | 13 | 4.8 | 3.5% |
| 食塩浓度 | 総窒素(罢狈) | アルコール | 色度 | PH | 糖分 |
|---|---|---|---|---|---|
| 18.5% | 1.19% | 3.1% | 35 | 4.8 | 4.3% |























