糖心原创vlog

研究機関誌「FOOD CULTURE No.10」世界の食文化雑学講座 第6話

食べる道具はその时々の生活を映す

时代の変化とともに、日本人の食卓は铭々膳から家族団欒の象徴であるちゃぶ台そして椅子とテーブルへ移行した。さらに箸が中国大陆から伝来する以前、日本では手づかみで食事をしていたという。その伝统的な箸も米の消费量が减るとともに、ナイフとフォークに取って代わられているのが现状である。食べるための道具だけを见ても海外からの食文化の影响が色浓く反映されているのが分る。

日本の住宅事情が生んだコンパクトな食卓

最近の昭和回帰ブームでちゃぶ台が脚光を浴びている。ちゃぶ台は脚が折りたためることが特徴であり、狭い日本の家には最适な食卓だった。寝室と食堂が独立していなかったころ、食事をする部屋が夜は寝室にもなる。そのため食卓であるちゃぶ台の脚をたたんで壁に立てかけて片づけなければ寝られなかった。ちゃぶ台は明治20年代ごろに出现し、大正时代の后半から昭和のはじめにかけて一気に普及した。
ちゃぶ台以前には、どこの家庭でも铭々膳で食事をしていた。なかでも、江戸时代に発明された「箱膳」は食器棚の役割もする。箱膳は木箱だが、その中に饭茶碗?汁碗?箸?小皿一枚が入っている。食事をするときには、箱膳の盖を里返して中の茶碗などをその上に并べ、膳に変身した盖を箱の上に乗せて膳が动かないように留めをする。使わないときには、膳棚という本棚のような棚に铭々の箱膳を重ね置く。日本の住宅事情を背景に、先人たちはさまざまな工夫をしていた。
ところが、住宅の洋风化が进んだ昭和40年代以降、ダイニングルームが出现した。床はいまでいうフローリング、もしくはクッション性の高いシートを敷き、ちゃぶ台はダイニングテーブルに取って代わられた。同时に、若い世代ではご饭食からパン食が増え、ご饭のおかずにも洋风なものが出始めている。

茶の间の风景。ちゃぶ台は近代都市住宅の定型だった(昭和のくらし博物馆所蔵)

平安贵族は箸と匙で食事をしていた

ご饭を主食とした和食には箸がつきもの。実は、この箸は稲作発祥の地である中国から渡来した。3世纪の「魏志倭人伝」には、「日本人は食饮には籩豆(へんとう)を用いて手食す」と记されている。「籩豆」とは「高坏(たかつき)」のこと。
箸が伝えられる以前は、高坏に盛った食べ物を手づかみで食べていたという。では汁物はどうだろう。
弥生时代から木や贝殻で匙を作っていたことがわかっている。そのことから3世纪ごろには、ご饭は手で、汁物は匙で食べていたことがわかる。
7~8世纪ごろになると、中国から箸が伝えられ、そのころの藤原宫趾や平城宫趾から多数の木箸が出土している。正仓院には银の箸も残っているらしい。箸を使う习惯は支配阶级から次第に庶民へと広まり、8世纪末には平安京の庶民の间にまで広まっていたという。ただし、匙は一般には普及しなかった。そのころの贵族の间では、匙はご饭と汤渍けと水渍けが出るときにしか使っていない。酒と肴だけのときは箸だけを使った。これは现在の韩国と同じように、饭类は匙で、おかずは箸でという食べ方である。
その后、匙は日本人の食卓から姿を消した。その理由の一つに、木碗が普及したことが挙げられる。碗が土器であれば、重いために食卓に置いたままで食べることになり、箸では不都合だった。そこに軽くて持ちやすい木の碗が出てくると、热いものを入れても持てるので、箸だけで食べられるようになったと考えられる。
それが今日では、再び日本の食卓にスプーンや散り莲华と名をかえた呼称で匙が登场している。これは海外の文化から伝えられた形ではあるが、时代を超えて日本の食生活には国外の影响が色浓く残っていることがわかる。

参考文献
  1. 1「和食の力」(小泉和子著 平凡社新書)
  2. 2月刊「やかたのわすれもの」(第4?46号)
  3. 3「大江戸生活事情」((石川英辅着讲谈社文库)