糖心原创vlog

キッコーマン食文化讲座

食は「県民性」では语れないⅡ ~食文化の境界线を歩く~

日程 2018年1月28日
场所 东京本社
讲师 野瀬泰申先生
主催 キッコーマン国际食文化研究センター
公開講座の様子

日本各地の食文化は海沿いか山间部か、海沿いでもどんな海に面しているか、北か南かといった地理的条件に规定されます。幕藩体制时代のどの藩に属していたかも无视できない要素です。加えてその土地の歴史も深く関係します。

私は2002年からインターネットで食文化の地域偏差を探ってきました。次々にテーマを设け、読者の投票结果を日本地図に落とすというやり方です。当时最も気になっていた「天ぷらにソースをかけるのはどの地域か」について読者に投票をしてもらったところ、関西を中心とする西日本の文化であることが判明しました。
日本のウスターソースは明治の大阪?神戸で诞生し、「洋式醤油」「新式醤油」として瞬く间に広がりました。醤油ですから様々な料理にかけるものというわけで、天ぷらにもソースが注がれることになり、それが今日まで引き継がれているのです。

「カレーに卵を入れるならどんな卵?」という问いに対する投票结果も兴味深いものがありました。西日本は「生卵」、东日本は「ゆで卵」となりました。これは明治に开店した大阪の洋食店が、カレーライスを出す际、冷めたご饭を温める手段として热いルーとごちゃごちゃに混ぜてみました。客はそれにソースを大量にかけて混ぜます。当时、ぜいたく品だった卵を加えたい客がいたのですが、混ぜるのですから生卵でなければいけません。というわけでカレーライスに生卵という人気メニューが诞生し、一般家庭にも広がったのです。

関西でよくみかけるのが「ミンチカツ」。しかし関东では「メンチカツ」です。ひき肉のことは関东でも「ミンチ」と呼ぶのに、油で扬げると「メンチ」になります。肉を挽くことを英语で尘颈苍肠别(ミンス)と言いますが、これがなまってミンチになったと考えられています。しかしなぜ油で扬げたらメンチに変わるのか。温度変化のせいでしょうか。
日露戦争のころ新闻に连载された村井弦斎の小説「食道楽」に「メンチボールの作り方」が登场しています。理由と时期ははっきりしないものの、东京では明治时代にはすでに「ミンチ」と「メンチカツ」という使い分けをしていたことがわかります。
関东の人々は「ミンチ300グラムください。それとメンチカツ5枚」というようなことを无意识に口にしますが、おかしいとは思いませんか? 関西では「ミンチ300グラムとミンチカツ5枚」と注文します。こちらが正しい。

公開講座の様子

九州生まれの私が上京して初めて东京の甘味屋さんに入ったときのこと。粒あんの「ぜんざい」を注文しようとしたら、东京生まれの先辈が「それは田舎汁粉と注文しないと出てこない」と言ったのです。「田舎とは何だ。汁粉とは何だ。私はぜんざいを食べたいのだ」と思ったのです。
ぜんざいの语源は「神在饼(じんざいもち)」と言われています。旧暦10月は神无月です。日本中の神様が出云に集まって不在になるからです。ということは出云では神在(かみあり)月。この神様たちと共に人间が小豆?饼を食べたのが神在饼で、「じんざい」がなまって「ぜんざい」になったというのです。
一方、漉し馅を用いるお汁粉は江戸时代に江戸市中で生まれたそうです。新参者です。その新参者が神代の昔からある、いわばご先祖さまのぜんざいを「田舎汁粉」などと呼ぶことが、果たして许されるのでしょうか。と、ぜんざいでそだった九州人の私は思わず叫んでしまうのです。

私は九州でラーメンに「コショウ」をかけていました。うどんにもコショウを散らしていました。前者はペッパーで后者は唐辛子です。九州では唐辛子のことをコショウと呼称します。柚こしょうはペッパーではなく青唐辛子を使っています。でも柚こしょうです。
一方、东北?北海道では唐辛子を「なんばん」と呼びます。なんばん味噌は唐辛子味噌のことです。
なぜ、そんなことになったのか。南蛮贸易で唐辛子が日本に入ってきたころ「南蛮胡椒」と呼ばれていました。そのうちの胡椒が九州でコショウとして生き残り、南蛮がなんばんとして东北以东に根を张ったと考えられています。

このように、日本の食にまつわる文化は多様性に富み、日常のことなので改めて顾みられることなく生き続けています。身近な食文化に新たな视点を加えると、実に面白い日本列岛が见えてくるのです。
ここで质问。あなたの地域では灯油を入れるポリタンクは何色ですか。日本地図に落とすと东の赤、西の青という见事な色分けができるのです。
最后にサービス。銭汤のケロリン桶は东日本と西日本、どちらが大きい?
答えは东。