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-よみもの-
第15回 一般の部(エッセー)优秀赏
少し固めの稲荷ずし
あれから远く六十五年の年月が流れるが 时折、稲荷ずしを食べると、义母の亲心が温かく思い出されてくる。
私二十四歳、妻二十二歳の时、名古屋で知り合って结婚する约束をして、二人连だって妻の実家である九州宫崎の亲元へ、结婚を认めてもらいに行った。
义母には、快(こころよ)く受け入れてもらい、夜行列车で帰えることにすると、
「夜汽车は腹が空(す)くから、途中でこれを食べて行きなされ」
と、新闻纸包みの弁当を持たせてもらった。
列车は、たしか都城発の名古屋行き夜间急行であったと记忆している。
夜の日豊线は、ほの暗い座席に揺れながらも、义母の许しを得た安堵(あんど)に、うつらうつらとしながら、真っ暗闇のどの辺りを走っていた顷だったのか、新闻纸包みを开けると、竹の皮の包みが二つあり、それぞれの中には、握りこぶしほどもある特大の稲荷ずしが、二つづつ包まれていた。
陶器製で緑色した、手の平に载せるほど小さな、やかん型の茶瓶(ちゃびん)のお茶を饮みながら、二人肩寄せ合い、将来の希望を胸にして、おいしく頬张(ほおば)る稲荷ずしは、酱油(しょうゆ)で甘く煮染(し)めたあぶらげに五目ずしが詰めてあり、少し固めににぎられていた。
六十数年を経た今も、时々妻が作ってくれる、母亲ゆずりの稲荷ずしを口にすると、知らず知らずのうちに、心耳には、かすかにガタンゴトンとレールの音が闻こえ、脳里には、どこかの集落の明かりが、ほのかに一つ二つと、渔火(いさりび)のように车窓に流れる様子や、稲荷ずしが、なぜか妙に、少し固めであったことが思い出されてくる。
当时五十代半ばであった义母は、女手一つで苦労しながら、男の子叁人と娘一人を育ててきたその娘は、地元宫崎で结婚してほしかったであろうに、それが远い见ず知らずの男と一绪になることに、少なからずの不安を抱いたと思われる。
けれども、娘が望むならと、寂しさをこらえながら、持たせてやる弁当の稲荷ずしをこしらえる时、おそらく私には、
――どうか娘をよろしく頼みます。
娘には、
――母のことは心配せんでいいから、末永く幸せに暮らすんだよ。何ひとつしてやれないからすまんよ。许しておくれよ。
と、母亲としての切ない思いと、幸せになってくれよ、幸せになるんだよとの热い愿いが、つい腕から指先へと伝わり、はちきれんばかりに詰めてにぎった、少し固めの、こころの稲荷ずしになったのに违いない。
振り返えれば、起伏の多かった长い结婚生活で、事あるごとに、亡き义母の母心が、少し固めの稲荷ずしの思い出を伴って、温かく支えてくれた。
INFORMATION
「少し固めの稲荷ずし」
櫻井 俊甫 さくらい しゅんすけ さん(大阪府?89歳)
※年齢は応募时
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