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-よみもの-

第12回 一般の部(エッセー)読売新闻社赏

郷愁の『玉子かけごはん』

私は昭和17年、戦时中に生まれた。
不思议な事に、当时3才にも満たなかった私が、今でも鲜明に忆えている光景がある。
それを母に话すと、「小さかったお前が、どうしてそんな事を忆えているのかねえ?」と怪讶な颜をしたが、それはきっと私が小さい顷から食い意地が张っていたのだろうと思う。
その光景とは、その顷我家にあった木製のラジオから「ウーウーウー」と警戒警报が流れ、部屋中の畳が合掌造りの屋根の様に立てかけられていた中、私达子供は靴を履いたまま食卓の前に座らされた。当时は「产めよ、ふやせよ」の时代で我家も五男叁女の大世帯であった。その时父が「今日で家族はお别れになるかもしれない。今から皆で一绪に玉子かけごはんを食べよう!」と言った。今でこそ卵というと店先に山と积まれて売られているが、昔は玉子一つ运ぶのでさえ子供心に手が震えたものである。
白いごはんに、お月さんの様な黄色い玉子、醤油をかけてもらい、口にしたあの时の玉子かけごはんの何んとおいしかったこと!!
戦争の恐ろしさも忘れてただただ梦中で食べた。
终戦后日本は苦しい食料不足が続き、小学校时代、弁当を持って来れない子が沢山いた。
身体の小さな驰子ちゃんもその一人で、昼休みになると决まって一人校庭の砂场で游んでいた。その姿が可哀想で母に话すと、週に何度か驰ちゃんを家に呼んで昼ごはんを食べさせてくれた。その时母が用意してくれた玉子かけごはんを目にした时の驰子ちゃんのびっくり颜!! そしてすまなそうに、はにかみながら食べていたその姿を今も想い出す。
そんなある日「竹カゴはいらんかねー。」と言いながら物売りの男の人が何度も行き来しじっと我家を覗き込む姿に、不审に思った母が外に出てみると、沢山の竹カゴを背负った男の人が「ワシは驰子の父亲です。いつも娘が世话になっているそうで、すみません。これはワシが作った竹カゴですけん、使うて下さい」と投げる様に母の足许に竹カゴを、二、叁个置いて立ち去ろうとしたらしい。慌てた母が「お父さん、これは大事な売り物でしょうが!今お代を?????」と言っても闻かずに走り去ったそうである。まだ幼かった私はその话をただ「ふーん」と闻き流してしまっていたが、歳を重ねた今になって、玉子かけごはんを目にすると何故か远い昔の思い出が苏り、胸がいっぱいになる。
あの时代の亲が子を思う切ない心情、そして决して裕福でもなかった我家の台所事情にもかかわらず他の子供をも思いやる母の広い爱の心に改めて尊敬の念を抱くのである。
今、口にする玉子かけごはんの味が、何故か昔のそれと违うように感じられるのは、ちょっぴりほろ苦く、切ない当时の想い出という调味料が加わるからではなかろうか。贫しかったが人の心が温かかった良き时代だった。

INFORMATION

第12回 一般の部(エッセー)読売新闻社赏
「郷愁の『玉子かけごはん』」
酒井 公子 さかい きみこ さん(福岡県?79歳)
※年齢は応募时

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